「F4Uコルセア・再考」サプリメント-7 [F4U コルセア]
「他機種」の方から再考するコルセア:「前任機」は・・

- 東日本大震災;昨秋の台風;昨冬の豪雪;
そして先般の暴風災害によって被災された皆様に、
衷心から御見舞い申し上げます -
ミケ棲む北東北・青森市:高台の桜並木が凄・綺麗です・・
穏やかな空模様:段々希少になって来んでしょうか?
こうした中;「建て直し」や「新生」の途上に
未だある被災地の皆様の労苦というのは
本当に察するに余りあります - どうか、
どうか 皆様、火の元や体調に用心され
復興の足取りを増して行かれる様、
昼も夜も心底から祈っております
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
前々から”うーむ;「コルセアが出て来ないコルセア再考も一つの趣向だナ・・”
などと思っておりまして - コルセアの『前任機』をちょっと見てみよう、と・・
標題画像は1996年にアメリカのU.S.P.S.が発行していた記念切手:
CLASSIC COLLECTION のWarbirdシリーズの「グラマンF4Fワイルドキャット」。
他にもP-51マスタングやらF4Uコルセアもあったものです - 嘗て、アメリカ
の「スィング・バンド鹿馬・先輩」が”へぇー、コルセアとか興味アルの? 丁度
そういう切手がシリーズで出てんだよ”、とそういうのを選んでよこしたものです。
マスタングは水滴風防の「D」型で、コルセアの方は「4」型に国籍マークが
横・白帯に赤のストライプが入った1947年以降の感じの絵でした。
標題画像:切手のワイルドキャットは 実にカラフルな塗装と国籍マークで「絵」
になってますが;どうやら『戦前』のものなんでしょう - あんなにカラフルな感じ
で「戦地」には赴けそうもない。
あのF4Fワイルドキャット:元々は複葉機の設計で「案」を出していて、当時の
アメリカ海軍・新型艦上戦闘機の採用にあたって、当初から単葉機で出して
いたブルースター F2A バッファローとの比較で一旦 選から落ちていたそうです。
ただ;そのバッファローの開発進捗に対する『バックアップ』の意味で受注があり、
単葉機で再設計、更に改良を重ねていって、艦戦の主力に就いた模様です。
(・・と云う事は - グラマン・最初の単葉戦闘機だった訳ですね!)
開戦後、1942年5月迄だったら、こんな感じだったんでしょう(それ以降は
星の中央の赤いドットは無くするようにしていたそうです):

ところで、さっきの切手の裏面にあるキャプションには、「グラマンF4FはWW2初期、
海軍の第一線にあった。 珊瑚海;ミッドウェイ;そしてガダルカナルでの戦闘に
於いてはより優速かつ敏捷な日本の零戦に善戦した。 無骨なワイルドキャット
の軍務は戦争の全期を通し続いた」、とあります。
英語なりの謂い(書き?)表しとして’成る程’と思わせるのは、飛行機としての
性能面でもし勝っていたら 恐らく”outperformed”と云うのを、性能では劣って
いた事を先に認めた上で”outfought”としている処です。
単独:一対一の空戦となったら「勝ち目」というより防戦に追われるものを戦法:
タクティクスで補い、結果として善戦した、という謂い回しで、あまり反論の差し
挟みようが無い感じがして来ます・・(「・・」で止めておきましょう;勿論、異論の
ある方々も御出でしょうが)
F4Uコルセアが南西太平洋の前線に参加し始めたのが1943年2月中旬。
同前線で戦闘任務に就いていた海兵隊の戦闘機部隊に全てコルセアが行き
渡ったのが同年の7月頃 - これでも当時としては大変な急ピッチだった事
でしょう;5ヶ月というのは。 まして海軍の戦闘機部隊にF6Fヘルキャットが
戦闘参加したのは同じく1943年の9月頃からでもあり、F4Fワイルドキャットが
航空戦の第一線を担っていた期間は、どうしてアメリカ側にとっては長いもの
だった訳ですね。

アメリカ海軍少佐:ジョン・S・サッチが編み出した「サッチ・ウィーヴ」という戦法は
後々、ワイルドキャットが零戦をはじめとした日本側・戦闘機と空戦する上で
かなりの効果を出した模様です。 また、南西太平洋での戦闘が続く中で
日本側が補給面で劣勢に陥ったのが拍車をかけた点もあるのでしょう:F4F
ワイルドキャットのキルレシオ、謂わば空戦勝敗率は1942年の内に5・9:1、
そして戦争全期間では6・9:1、となっています - 確か当初は 1・7:1くらい
だったと・・ 主翼に2挺ずつ4挺の50口径機銃を装備していたF4F-3と、
6挺に増やして取って代わったF4F-4の比較は意見が分かれる処だった模様
です - 重装備になったものの長い射撃時間が取れないのと、飛行性能が
落ちたなどの要因がありそうです。
対日戦・末期になっても、ワイルドキャットは護衛空母
での配備運用が続けられ、特攻機の迎撃などに
就いていた、との事 - 成る程;(今、手許に
見付けられませんが)日本側が洋上で特別攻撃を
行っている遠景をアメリカ側の空母から写した写真の
手前・甲板に、ワイルドキャットのあの独特な胴体から
主脚を伸展した姿があったものです。
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
皆様、何時も御来訪下さり
本当にありがとうございます!!
ミケちゃん目下「ナメクジ速度」にて
『メイン・ブログ』移転中:
どうか・一つ引越し先でも
宜しくお付き合い下さいネ!
ミケ鹿馬

そして先般の暴風災害によって被災された皆様に、
衷心から御見舞い申し上げます -
ミケ棲む北東北・青森市:高台の桜並木が凄・綺麗です・・
穏やかな空模様:段々希少になって来んでしょうか?
こうした中;「建て直し」や「新生」の途上に
未だある被災地の皆様の労苦というのは
本当に察するに余りあります - どうか、
どうか 皆様、火の元や体調に用心され
復興の足取りを増して行かれる様、
昼も夜も心底から祈っております
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
前々から”うーむ;「コルセアが出て来ないコルセア再考も一つの趣向だナ・・”
などと思っておりまして - コルセアの『前任機』をちょっと見てみよう、と・・
標題画像は1996年にアメリカのU.S.P.S.が発行していた記念切手:
CLASSIC COLLECTION のWarbirdシリーズの「グラマンF4Fワイルドキャット」。
他にもP-51マスタングやらF4Uコルセアもあったものです - 嘗て、アメリカ
の「スィング・バンド鹿馬・先輩」が”へぇー、コルセアとか興味アルの? 丁度
そういう切手がシリーズで出てんだよ”、とそういうのを選んでよこしたものです。
マスタングは水滴風防の「D」型で、コルセアの方は「4」型に国籍マークが
横・白帯に赤のストライプが入った1947年以降の感じの絵でした。
標題画像:切手のワイルドキャットは 実にカラフルな塗装と国籍マークで「絵」
になってますが;どうやら『戦前』のものなんでしょう - あんなにカラフルな感じ
で「戦地」には赴けそうもない。
あのF4Fワイルドキャット:元々は複葉機の設計で「案」を出していて、当時の
アメリカ海軍・新型艦上戦闘機の採用にあたって、当初から単葉機で出して
いたブルースター F2A バッファローとの比較で一旦 選から落ちていたそうです。
ただ;そのバッファローの開発進捗に対する『バックアップ』の意味で受注があり、
単葉機で再設計、更に改良を重ねていって、艦戦の主力に就いた模様です。
(・・と云う事は - グラマン・最初の単葉戦闘機だった訳ですね!)
開戦後、1942年5月迄だったら、こんな感じだったんでしょう(それ以降は
星の中央の赤いドットは無くするようにしていたそうです):

海軍の第一線にあった。 珊瑚海;ミッドウェイ;そしてガダルカナルでの戦闘に
於いてはより優速かつ敏捷な日本の零戦に善戦した。 無骨なワイルドキャット
の軍務は戦争の全期を通し続いた」、とあります。
英語なりの謂い(書き?)表しとして’成る程’と思わせるのは、飛行機としての
性能面でもし勝っていたら 恐らく”outperformed”と云うのを、性能では劣って
いた事を先に認めた上で”outfought”としている処です。
単独:一対一の空戦となったら「勝ち目」というより防戦に追われるものを戦法:
タクティクスで補い、結果として善戦した、という謂い回しで、あまり反論の差し
挟みようが無い感じがして来ます・・(「・・」で止めておきましょう;勿論、異論の
ある方々も御出でしょうが)
F4Uコルセアが南西太平洋の前線に参加し始めたのが1943年2月中旬。
同前線で戦闘任務に就いていた海兵隊の戦闘機部隊に全てコルセアが行き
渡ったのが同年の7月頃 - これでも当時としては大変な急ピッチだった事
でしょう;5ヶ月というのは。 まして海軍の戦闘機部隊にF6Fヘルキャットが
戦闘参加したのは同じく1943年の9月頃からでもあり、F4Fワイルドキャットが
航空戦の第一線を担っていた期間は、どうしてアメリカ側にとっては長いもの
だった訳ですね。

後々、ワイルドキャットが零戦をはじめとした日本側・戦闘機と空戦する上で
かなりの効果を出した模様です。 また、南西太平洋での戦闘が続く中で
日本側が補給面で劣勢に陥ったのが拍車をかけた点もあるのでしょう:F4F
ワイルドキャットのキルレシオ、謂わば空戦勝敗率は1942年の内に5・9:1、
そして戦争全期間では6・9:1、となっています - 確か当初は 1・7:1くらい
だったと・・ 主翼に2挺ずつ4挺の50口径機銃を装備していたF4F-3と、
6挺に増やして取って代わったF4F-4の比較は意見が分かれる処だった模様
です - 重装備になったものの長い射撃時間が取れないのと、飛行性能が
落ちたなどの要因がありそうです。
対日戦・末期になっても、ワイルドキャットは護衛空母
での配備運用が続けられ、特攻機の迎撃などに
就いていた、との事 - 成る程;(今、手許に
見付けられませんが)日本側が洋上で特別攻撃を
行っている遠景をアメリカ側の空母から写した写真の
手前・甲板に、ワイルドキャットのあの独特な胴体から
主脚を伸展した姿があったものです。
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美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
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ミケちゃん目下「ナメクジ速度」にて
『メイン・ブログ』移転中:
どうか・一つ引越し先でも
宜しくお付き合い下さいネ!
ミケ鹿馬
2012-05-10 11:00
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「F4Uコルセア・再考」サプリメント- 6 [F4U コルセア]
「闘魂強過ぎコルセア・エースの述懐」の続きです・・

- 東日本大震災、並びにこの節の
台風により被災された皆様に、
引き続き衷心から御見舞い申し上げます -
ミケ棲む北東北は青森市:とうとう朝/晩は
ストーブの世話になってしまう按配に・・
こうやって冬の足音が近づいて来る中、
「建て直し」や「新生」に注力されて
御出での被災された皆様の辛さは
本当に察するに余りあります - どうか、
どうか 皆様、体調や火の元に用心され
復興の足取りを増して行かれる様、
昼も夜も心底から祈っております
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
前号に引き続き;太平洋戦争・中期にF4U
コルセアを駆って、南太平洋で激烈な空戦を繰り
広げた海兵隊少佐(退役時:大佐)グレゴリー・

”パピイ”・ボイントンが、撃墜を被り捕虜生活
を送る事になった最後の出撃から33年を
経過して改めて愛機コルセアを語ります
”こうした長所はあったが 一方、 - 物事何でもそういうもの
で、イイとこばかりとはいかないよね - 短所もあったのさ。
コルセアは’長鼻’なせいで(主脚:両翼下と尾脚で)三点
ポジションで滑走していたり 着陸にあたっては、もう殆ど
前方視界が「ブラインド」といった状態だった。 当然の事;

一端上がってしまい、空戦なり飛行している状態では、
そう感じる事なんてないんだけどね。 それでも、着陸時
や離陸前の滑走中で尾部がまだ上がらない内は、それ迄
他の機体で習慣的に得ていたような前方視界が取れない
んだよ。 当時あの戦地に設えられた滑走路っていうのは
殆どの場合、極めて狭かった事から、私は自分が為すべき
事;そして部下の搭乗員にさせるべき事がチャンと分かってた:
’他の機種と同じ様に飛ばそうとか滑走させようとスルんじゃ
ないぞ - 真横の視界を頼りにするんだ。
滑走路の端で蹴り出してったら廻りながら見下ろし、行く手に
障害がないか確かめ、そうして蹴り戻ったら 後はもう尾部が
上がる迄 直角にサイドの視界を頼りにしてるんだ - そのうち

「前」が拝めるようになる。 着陸時も同様で;三点ポジション
に入ったら眼を90度・サイドに向けるんだ。 最後に進路を
確かめた時に何か邪魔があったら、進入する際 恐らくソレは
そのままアルだろう - もし片付いてたら、滅多にない珍事
じゃないか;そうだろ?’、とね。
コルセアが元々は、アメリカ海軍の為に設計され、そして大量
に発注されていた機種だった事は承知していた。 ところが;
いざ海軍の搭乗員達が空母運用という事でソレを着艦させ
にかかって恐れをなしたんだ! 空母甲板のパターン上で、
機体はプロップにぶら下がってる;長いこと空母の真後ろに
位置を取ってる間というもの着艦して三点ポジションになった
時より更に’ノーズ・ハイ’という状態になってしまう。 そこで
彼らは云う - ’コンナの欲しくないヨ!’、てね。 だから
宜しかったら、コチラにて
つづきを観てやって下さいませ・・
皆様、何時も御来訪下さり
本当にありがとうございます!!
ミケちゃん目下、「ナメクジ速度」で移転中:
どうか・一つ引越し先でも
宜しくお付き合い下さいネ!
ミケ鹿馬

台風により被災された皆様に、
引き続き衷心から御見舞い申し上げます -
ミケ棲む北東北は青森市:とうとう朝/晩は
ストーブの世話になってしまう按配に・・
こうやって冬の足音が近づいて来る中、
「建て直し」や「新生」に注力されて
御出での被災された皆様の辛さは
本当に察するに余りあります - どうか、
どうか 皆様、体調や火の元に用心され
復興の足取りを増して行かれる様、
昼も夜も心底から祈っております
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
前号に引き続き;太平洋戦争・中期にF4U
コルセアを駆って、南太平洋で激烈な空戦を繰り
広げた海兵隊少佐(退役時:大佐)グレゴリー・

を送る事になった最後の出撃から33年を
経過して改めて愛機コルセアを語ります
”こうした長所はあったが 一方、 - 物事何でもそういうもの
で、イイとこばかりとはいかないよね - 短所もあったのさ。
コルセアは’長鼻’なせいで(主脚:両翼下と尾脚で)三点
ポジションで滑走していたり 着陸にあたっては、もう殆ど
前方視界が「ブラインド」といった状態だった。 当然の事;

そう感じる事なんてないんだけどね。 それでも、着陸時
や離陸前の滑走中で尾部がまだ上がらない内は、それ迄
他の機体で習慣的に得ていたような前方視界が取れない
んだよ。 当時あの戦地に設えられた滑走路っていうのは
殆どの場合、極めて狭かった事から、私は自分が為すべき
事;そして部下の搭乗員にさせるべき事がチャンと分かってた:
’他の機種と同じ様に飛ばそうとか滑走させようとスルんじゃ
ないぞ - 真横の視界を頼りにするんだ。
滑走路の端で蹴り出してったら廻りながら見下ろし、行く手に
障害がないか確かめ、そうして蹴り戻ったら 後はもう尾部が
上がる迄 直角にサイドの視界を頼りにしてるんだ - そのうち

に入ったら眼を90度・サイドに向けるんだ。 最後に進路を
確かめた時に何か邪魔があったら、進入する際 恐らくソレは
そのままアルだろう - もし片付いてたら、滅多にない珍事
じゃないか;そうだろ?’、とね。
コルセアが元々は、アメリカ海軍の為に設計され、そして大量
に発注されていた機種だった事は承知していた。 ところが;
いざ海軍の搭乗員達が空母運用という事でソレを着艦させ
にかかって恐れをなしたんだ! 空母甲板のパターン上で、
機体はプロップにぶら下がってる;長いこと空母の真後ろに
位置を取ってる間というもの着艦して三点ポジションになった
時より更に’ノーズ・ハイ’という状態になってしまう。 そこで
彼らは云う - ’コンナの欲しくないヨ!’、てね。 だから
宜しかったら、コチラにて
つづきを観てやって下さいませ・・
皆様、何時も御来訪下さり
本当にありがとうございます!!
ミケちゃん目下、「ナメクジ速度」で移転中:
どうか・一つ引越し先でも
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ミケ鹿馬
2011-10-22 21:59
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「F4Uコルセア・再考」サプリメント-5 [F4U コルセア]
闘魂強過ぎコルセア・エースが戦後、愛機を述懐・・

- 東日本大震災、並びにこの節の
台風により被災された皆様に、
引き続き衷心から御見舞い申し上げます -
ミケ棲む北東北は青森市:とうとう朝/晩は
ストーブの世話になってしまう按配に・・
こうやって冬の足音が近づいて来る中、
「建て直し」や「新生」に注力されて
御出での被災された皆様の辛さは
本当に察するに余りあります - どうか、
どうか 皆様、体調や火の元に用心され
復興の足取りを増して行かれる様、
昼も夜も心底から祈っております
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
「ミケ鹿馬」カテゴリーの中、調べれば・調べる程書き辛くなったり
な「F4U コルセア」ものですが、ともあれ;ビッシリと纏まったモノが
書けない合間、米英側から出された記録;記述;そして述懐等
を元ネタにサプリメント記事で暫し続けて参ります。
今回は、あるコルセア・エースの回想譚:海兵隊少佐(退役
時点で大佐)グレゴリー・”パピイ”・ボイントンが1970年代に

F4U CORSAIR AT WAR by Richard Abrams
Published by Ian Allan Ltd 1977
出された本に寄せた述懐からの要訳です - 彼の自伝:
"Baa Baa Black Sheep"はそれより20年近く前に出版され
(アメリカでは’80年代にTVドラマ化も)ていますが;改めて
当時の愛機についての印象や思い入れのアウトラインを
浮かび上がらせ、そこから他の当時コルセアで戦闘任務に
就いていた海兵隊/海軍 搭乗員達の心情も何処か
伝わってくる感じがしてくるものになっています。
アメリカ空軍や連邦航空局でのキャリアを積んできた著者:
リチャード・エイブラムス氏に飛行気乗り同士、といった感じ
の語り口になっていて、これは録音から起こしたものなのか:
前段に短い「パピイ」の戦歴・経過 - 終戦後、ボイントン
は最後となった出撃で、あと2機をどの様に撃墜したか述べ、
結果として「撃墜合計28機」が認められて第二次大戦に
於けるアメリカ海兵隊 航空エースの最高位となった。

自身が被った撃墜から33年を経て、「パピイ」はコルセア
について著者に次の様に語った -
”ホントの話、ディック、私はコルセアに愛着を感じていたよ。
あの戦争・特にあの時点での上層部が下した判断としては
最も歓迎された内の一つだったね。 それと云うのも、それ迄
我々は戦争前半、南太平洋でグラマンF4Fでもって立ち向
かっていてそれもイイ機体ではあった。 でも、日本軍の零戦
は速度も上昇力も勝っていたし、他の全ての日本機が我々を
’廻り負かす’事が出来た。 F4Fは頑丈な小型機だったが、
死角に廻り込まれるのを防ぐには僚機との連携が欠かせず、
一旦 空戦になったら日本側がガスかアンモ(弾薬)が尽きて
我々をウチに帰す気にでもならない限り、ずっとそうして闘う
しかなす術が無かったんだよ - これはおよそ居心地の
イイものじゃなかったね。 ところがコルセアの登場によって、
遂に我々は日本機より’昇り勝る’事が出来、同時に速力
でも凌駕する事になった。 こちら側が相手に詰め寄る番
となり、もう詰め寄られる側じゃない。 言い換えるなら、
優位を取って代わり;攻守の逆転が起きたんだよ。
それは勿論、彼らを’廻り負かす’事は出来なかった、けれど
こちら側に出来たのは:例えば、こっちが詰め寄って銃撃を
試み、向こうがそれを避ける為に旋回に入った、としよう。
その敵機は旋回性能に秀でている事から当然の成り行き
として、こちらの背後に廻り込もうとする。 しかし、仮にこちら
が見越し射撃範囲に敵機を捉えられずにいて - そうだな、
半回転した辺りで - 向こうが廻り込もうとしてるのを見たら、

こちらはひたすら上昇のみ;そこから降下し、違う半回転で
宜しかったら、コチラにて
つづきを観てやって下さいませ・・
皆様、何時も御来訪下さり
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宜しくお付き合い下さいネ!
ミケ鹿馬

台風により被災された皆様に、
引き続き衷心から御見舞い申し上げます -
ミケ棲む北東北は青森市:とうとう朝/晩は
ストーブの世話になってしまう按配に・・
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「建て直し」や「新生」に注力されて
御出での被災された皆様の辛さは
本当に察するに余りあります - どうか、
どうか 皆様、体調や火の元に用心され
復興の足取りを増して行かれる様、
昼も夜も心底から祈っております
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
「ミケ鹿馬」カテゴリーの中、調べれば・調べる程書き辛くなったり
な「F4U コルセア」ものですが、ともあれ;ビッシリと纏まったモノが
書けない合間、米英側から出された記録;記述;そして述懐等
を元ネタにサプリメント記事で暫し続けて参ります。
今回は、あるコルセア・エースの回想譚:海兵隊少佐(退役
時点で大佐)グレゴリー・”パピイ”・ボイントンが1970年代に
Published by Ian Allan Ltd 1977
出された本に寄せた述懐からの要訳です - 彼の自伝:
"Baa Baa Black Sheep"はそれより20年近く前に出版され
(アメリカでは’80年代にTVドラマ化も)ていますが;改めて
当時の愛機についての印象や思い入れのアウトラインを
浮かび上がらせ、そこから他の当時コルセアで戦闘任務に
就いていた海兵隊/海軍 搭乗員達の心情も何処か
伝わってくる感じがしてくるものになっています。
アメリカ空軍や連邦航空局でのキャリアを積んできた著者:
リチャード・エイブラムス氏に飛行気乗り同士、といった感じ
の語り口になっていて、これは録音から起こしたものなのか:
前段に短い「パピイ」の戦歴・経過 - 終戦後、ボイントン
は最後となった出撃で、あと2機をどの様に撃墜したか述べ、
結果として「撃墜合計28機」が認められて第二次大戦に
於けるアメリカ海兵隊 航空エースの最高位となった。

について著者に次の様に語った -
”ホントの話、ディック、私はコルセアに愛着を感じていたよ。
あの戦争・特にあの時点での上層部が下した判断としては
最も歓迎された内の一つだったね。 それと云うのも、それ迄
我々は戦争前半、南太平洋でグラマンF4Fでもって立ち向
かっていてそれもイイ機体ではあった。 でも、日本軍の零戦
は速度も上昇力も勝っていたし、他の全ての日本機が我々を
’廻り負かす’事が出来た。 F4Fは頑丈な小型機だったが、
死角に廻り込まれるのを防ぐには僚機との連携が欠かせず、
一旦 空戦になったら日本側がガスかアンモ(弾薬)が尽きて
我々をウチに帰す気にでもならない限り、ずっとそうして闘う
しかなす術が無かったんだよ - これはおよそ居心地の
イイものじゃなかったね。 ところがコルセアの登場によって、
遂に我々は日本機より’昇り勝る’事が出来、同時に速力
でも凌駕する事になった。 こちら側が相手に詰め寄る番
となり、もう詰め寄られる側じゃない。 言い換えるなら、
優位を取って代わり;攻守の逆転が起きたんだよ。
それは勿論、彼らを’廻り負かす’事は出来なかった、けれど
こちら側に出来たのは:例えば、こっちが詰め寄って銃撃を
試み、向こうがそれを避ける為に旋回に入った、としよう。
その敵機は旋回性能に秀でている事から当然の成り行き
として、こちらの背後に廻り込もうとする。 しかし、仮にこちら
が見越し射撃範囲に敵機を捉えられずにいて - そうだな、
半回転した辺りで - 向こうが廻り込もうとしてるのを見たら、

宜しかったら、コチラにて
つづきを観てやって下さいませ・・
皆様、何時も御来訪下さり
本当にありがとうございます!!
ミケちゃん目下、「ナメクジ速度」で移転中:
どうか・一つ引越し先でも
宜しくお付き合い下さいネ!
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2011-10-18 22:52
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「F4Uコルセア・再考」サプリメント-4 [F4U コルセア]
どうして・名機 - ただ、運用面では割り喰ってたネ・・

- 東日本大震災による被災者の皆様に
引き続き衷心から御見舞い申し上げます -
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
いや・スイマセン - やっとの「5月・第三号」:
書くのに「気」は勿論 引けるのですが、
F4Uコルセアという戦闘機・一機種
でもって『敵』側から思い起こす・・
全く「無駄」でもないでしょう:
”書ける内に書いておかなきゃ”、と・・
先ず;このミケは生粋の愛国少年だったし、それは今も
変わらんデス - 例えば、世の中がクリスマスいうても
先に神社に出向いて”どうも・相済みません”いってから
”ワーっ、七面鳥だ!ケーキだ!”いうてた。 ただ;
日本酒に’嫌われて’、「バーボン」いうのと縁出来たり、
演歌や北島三郎先生に’嫌われ’て、’仕方なく’
スィング・バンドやグレンと知り合いになったダケす・・
「F4Uコルセア」に絞って考察していっても「飽き」が来ない
要因の一つに、当時の『彼ら』が 我々:日本人の先人を
対手にした戦争で様々・考えあぐねた様子が浮かんで
来る、という事があります - ”性能や特性上、本来なら
「こう」運用したいんだがナ”と、実際の戦況展開の違い、
当時のアメリカ海軍/海兵隊の配備機種のみならず、
同時期の陸軍航空隊・配備機種、更に当然:「敵機」
との優勢/劣勢の検討、等など・・
これはミケ・勝手に思ってるコト - 一般に後代の日本人:
”「零戦を負かした敵機」という印象からグラマン・ヘルキャットを

買い被り過ぎチガウ? ”コルセアに押し負け喰った”いう方が
性能上、’コッチ’だって「顔」が立つってモンだ”
何もミケなんかがソンナ事考えんでも、アメリカ側が第一、そう
思ってたフシがありました - 様々に伝わる「コルセア評」
の内、例えば太平洋戦争末期:空母での運用開始当初の
ものに、”(F6Fヘルキャットと比して)速度・上昇力・運動性
で大きく上回っており、迎撃などを主務とする 制空戦闘機
にふさわしい反面、汎用性に欠け戦闘爆撃機としては
決定的に劣る”、というのもありました。
しかし:結果としては、「戦闘爆撃機」としての出番:ソーティ
数が遥かに多く、アメリカ海軍/海兵隊に配備されていた
戦闘機・機種が行った爆撃の実に7割を占めていたそうです。
ともあれ・先ず「制空戦闘機」としては:
*1943年1月に、捕獲してレストアした零戦とF4U-1
で模擬空戦が行われ、”’殆どの面に於いて’優勢”
**同じ頃、P-51マスタングとの性能比較で、”12,000
ft(3,600m位でしょうか?)以上では優勢、それより低い
高度でも概ね互角”

***陸軍が1943年5月21日フロリダ州のエグリン航空
基地でP-47;P-51;P-38;P-39、と自軍の4機種
と模擬ドッグファイトを行い - 陸軍の搭乗員がコルセアを
操ったのはこの時・初めてだったそうですが - ”陸軍4機種に
対し、概して優勢”
宜しかったら、コチラにて
つづきを観てやって下さいませ・・
皆様、何時も御来訪下さり
本当にありがとうございます!!
ミケちゃん目下、「ナメクジ速度」で移転中:
どうか・一つ引越し先でも
宜しくお付き合い下さいネ!
ミケ鹿馬

引き続き衷心から御見舞い申し上げます -
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
いや・スイマセン - やっとの「5月・第三号」:
書くのに「気」は勿論 引けるのですが、
F4Uコルセアという戦闘機・一機種
でもって『敵』側から思い起こす・・
全く「無駄」でもないでしょう:
”書ける内に書いておかなきゃ”、と・・
先ず;このミケは生粋の愛国少年だったし、それは今も
変わらんデス - 例えば、世の中がクリスマスいうても
先に神社に出向いて”どうも・相済みません”いってから
”ワーっ、七面鳥だ!ケーキだ!”いうてた。 ただ;
日本酒に’嫌われて’、「バーボン」いうのと縁出来たり、
演歌や北島三郎先生に’嫌われ’て、’仕方なく’
スィング・バンドやグレンと知り合いになったダケす・・
「F4Uコルセア」に絞って考察していっても「飽き」が来ない
要因の一つに、当時の『彼ら』が 我々:日本人の先人を
対手にした戦争で様々・考えあぐねた様子が浮かんで
来る、という事があります - ”性能や特性上、本来なら
「こう」運用したいんだがナ”と、実際の戦況展開の違い、
当時のアメリカ海軍/海兵隊の配備機種のみならず、
同時期の陸軍航空隊・配備機種、更に当然:「敵機」
との優勢/劣勢の検討、等など・・
これはミケ・勝手に思ってるコト - 一般に後代の日本人:
”「零戦を負かした敵機」という印象からグラマン・ヘルキャットを

性能上、’コッチ’だって「顔」が立つってモンだ”
何もミケなんかがソンナ事考えんでも、アメリカ側が第一、そう
思ってたフシがありました - 様々に伝わる「コルセア評」
の内、例えば太平洋戦争末期:空母での運用開始当初の
ものに、”(F6Fヘルキャットと比して)速度・上昇力・運動性
で大きく上回っており、迎撃などを主務とする 制空戦闘機
にふさわしい反面、汎用性に欠け戦闘爆撃機としては
決定的に劣る”、というのもありました。
しかし:結果としては、「戦闘爆撃機」としての出番:ソーティ
数が遥かに多く、アメリカ海軍/海兵隊に配備されていた
戦闘機・機種が行った爆撃の実に7割を占めていたそうです。
ともあれ・先ず「制空戦闘機」としては:
*1943年1月に、捕獲してレストアした零戦とF4U-1
で模擬空戦が行われ、”’殆どの面に於いて’優勢”
**同じ頃、P-51マスタングとの性能比較で、”12,000
ft(3,600m位でしょうか?)以上では優勢、それより低い
高度でも概ね互角”

基地でP-47;P-51;P-38;P-39、と自軍の4機種
と模擬ドッグファイトを行い - 陸軍の搭乗員がコルセアを
操ったのはこの時・初めてだったそうですが - ”陸軍4機種に
対し、概して優勢”
宜しかったら、コチラにて
つづきを観てやって下さいませ・・
皆様、何時も御来訪下さり
本当にありがとうございます!!
ミケちゃん目下、「ナメクジ速度」で移転中:
どうか・一つ引越し先でも
宜しくお付き合い下さいネ!
ミケ鹿馬
2011-05-07 19:56
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「F4Uコルセア・再考」サプリメント-3 [F4U コルセア]

**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
いえ、自分でも目が点ッ!まだ9月・四号だワ・・
「鬱」?「スランプ」? いや、貯まった夏バテを
解き放って・リカヴァー途上なんですけれど・・
で、書くと・・、”おぃ・トッツアン;またアレかね!”
などと、嘲笑われそうですが;早くミケなりに
ケリを付けてしまおう、と思うのに反して、
逆に、資料や視点が変わる、というより
増えていってしまうから、始末ワルイ・・
「誰が為」という訳では無く、どころか自分でも
書くの結構・気が重いトコある「コルセア・関連」
かの太平洋戦争に於いて稼動/作戦参加した
アメリカ軍・戦闘機・一機種、という『極小』な
「話のオコシ」から、敢えて当時の敵国側に
残された記録記述を読んでいきながら
あの戦争を’自分で’考えてみたい
それだけの事です・・
標題画像の左がF6F ヘルキャット;そして右がF4Uコルセア:
キルレシオ:謂わば空戦に於ける「勝敗率」ですが、ヘルキャット
が19対1でコルセアの11・3対1を大きく上回っていました。
他方、あくまで「性能上」ではコルセアが例えば旋回半径の
「小ささ」等、一部の運動性能を除けばかなり優れており、

何と、朝鮮戦争でまで(勿論、’型’は進化していましたが)用い
られ、旧ソ連製ジェット戦闘機:Mig 15と空戦になった際、
その1機を撃墜した記録すらある位です。
”性能が優れていても、実際の空戦となると、そうはいかないんだ”
という「ククリ方」も日本の出版物の中にはあったりしていましたが、
(あくまで’ミケの’受け止め方としては)これではスエた、焦げた様な
ムサイ親爺の説教みたいなもので、とまれミケは得心が行かなかった
”性能面で(本当に)優れていたのなら;何故、「勝敗率」にそれが
反映されてないんだろう? これが「日本機」の話なら、もっと探る
人だって、多かろうに・・”、と中学・ガキの頃から思っておったんです
『敵』の事は敵の本・読むなりしなきゃ実相掴めネぇべ・・”、とね・・
今・白状スルと;ミケの『本当の』英語・教材は管楽器・関係の雑誌
やカタログ類(1位);バーボン・ウィスキー各銘柄の由来モノ(2位);
ポルノ誌(購読ハガキと郵便為替送ったら;ホントに来ちゃったノ!)
が3位で、あとはやたらコルセア;ヘルキャット;サンダーボルト;マスタング
等などの本・バッカリでした(『時効』ね、そう、『時効』!)
”あぁ、やっぱりナ”、と感じたもので一番大きかったのは「運用面」でした:
昨今の「抑止力」関連の話題で、よく’有識者’の方々が、アメリカ海兵隊
について、”「海軍陸戦隊」みたいなモンでしょう・・”、いうのがあります。
ミケ:コレ・全然分かんないんですワ
アメリカ海兵隊:その役割は迅速に「総合的(陸も空も)な戦力」を
海軍と連携、その機動力を用いて派遣/展開する事で;シビリアン・
コントロール体制の下での所管はアメリカ合衆国海軍省、となるそうです。
海軍省・所管の軍隊機構は二つ:海軍と海兵隊;決して海軍の一部門
なりディヴィジョンとかではなく;むしろ、陸・空:両軍併せた極・ミニ版で
輸送や訓練等で海軍との連携関係が深い、と捉えるべきなんでしょう:
何せ・創立が、1775年11月10日で;同年10月13日の海軍と、
ヒト月程しか違わない歴史があり、勿論、独立戦争の時にはもう、在った!
ただ、第二次世界大戦後、軍事費・圧縮の動きがあった際、”陸軍と海軍
の連携を深めれば良い事であり、海兵隊はそれらに吸収/統合して廃止
しても可なのでは?”、という議会や陸・海軍の動きも実際・在ったそうです。
****コレは全くミケの予断/Guessの勘ぐりですが****
連邦政府からの(イラクやアフガニスタン等で)軍事費・歳出に逼迫やら
難儀な面があるとしたら、海兵隊などは、「その有用性」を考慮して、
資金面でも協力してくれる同盟国から”離れずに居て置いて欲しい”、
と議会や国務・国防の人達は思惑/願いがあるんでは?・・
****御無礼;コレは勝手なミケ・Guess勘ぐりです****

”海兵部隊の上陸作戦時、並びに地上戦での支援を主務とし、副次的に
空母配備の海軍機に替って任務にあたるべく、海兵隊・航空部隊は装備;
編成;訓練されるものである”、という内容の説明書きを英語版・ウィキペディア
に見る事が出来ます - 制空戦闘:なかんずく「空戦」は『主務』には
なりそうもありません;やって欲しい事は他にもっとあった様です・・
海兵隊の搭乗員からすれば海軍や陸軍はあくまで『友軍』;他方、上陸
して地上戦を展開する海兵隊は『自軍』 - 当然の事として、先ず兵員;
それから戦車/装甲車等の戦闘車両;武器弾薬や補給物資等などの揚陸
を護衛する;それから後、”あの高地の見晴らしのイイ場所にどうやらトーチカ:
強固な機銃・銃座があり、全く前に進めない”とか、”どうも、あの丘の向こうから
野砲で撃ってくるようなのだが、どうしても辿り着けない” - 支援・頼む!

海兵隊の軍規もそれは厳格なものだった事でしょう - 日本機との交戦に
懸かりっきりになって、艦艇護衛や地上攻撃で自軍に損失が出れば、叱責
どころか懲罰にすらなっていた事でしょう。 ただ;部隊や機材の上陸/揚陸
を可能にする為には、易々と敵機に近寄られてはやっぱり困るに違いない:
”先ず、制空権を奪取/掌握せよ!”、と命令されれば、やはり軍隊:幾ら、
性能面で分が悪かったF4F ワイルドキャットの装備だった時点でも、彼等なり
に血道をあげ日本機と交戦していましたから、彼等も勇敢に、というより’蛮勇’
に交戦していた事は確かです - というのも、先述の「副次的」な任務:
空母配備の海軍機に替る(又は、補完する)役割。 アメリカ海軍・機動部隊:
珊瑚海海戦・以降、新しい大型高速の「エセックス級」空母が届くまで、暫時
ソロモン海空戦時点では稼動可能な空母と配備の部隊も不足していた。
F6F ヘルキャットより半年以上も早い時点で
まだ、数的にも、技量・練度面でも優勢な
日本の航空戦力と対峙したコルセア:
ただ、ここでまたミケ:変な想像を
してしまうんですワ - 運動性能では
より良好だった、というヘルキャットとはいえ

かの戦闘の当初段階で、なまじ格闘戦等したら
当時のラバウル航空隊・熟練搭乗員には
却って、組みし易かったカモ知れません
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
本日も当ブログにお越し下さりありがとうございます!
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美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
いえ、自分でも目が点ッ!まだ9月・四号だワ・・
「鬱」?「スランプ」? いや、貯まった夏バテを
解き放って・リカヴァー途上なんですけれど・・
で、書くと・・、”おぃ・トッツアン;またアレかね!”
などと、嘲笑われそうですが;早くミケなりに
ケリを付けてしまおう、と思うのに反して、
逆に、資料や視点が変わる、というより
増えていってしまうから、始末ワルイ・・
「誰が為」という訳では無く、どころか自分でも
書くの結構・気が重いトコある「コルセア・関連」
かの太平洋戦争に於いて稼動/作戦参加した
アメリカ軍・戦闘機・一機種、という『極小』な
「話のオコシ」から、敢えて当時の敵国側に
残された記録記述を読んでいきながら
あの戦争を’自分で’考えてみたい
それだけの事です・・
標題画像の左がF6F ヘルキャット;そして右がF4Uコルセア:
キルレシオ:謂わば空戦に於ける「勝敗率」ですが、ヘルキャット
が19対1でコルセアの11・3対1を大きく上回っていました。
他方、あくまで「性能上」ではコルセアが例えば旋回半径の
「小ささ」等、一部の運動性能を除けばかなり優れており、

られ、旧ソ連製ジェット戦闘機:Mig 15と空戦になった際、
その1機を撃墜した記録すらある位です。
”性能が優れていても、実際の空戦となると、そうはいかないんだ”
という「ククリ方」も日本の出版物の中にはあったりしていましたが、
(あくまで’ミケの’受け止め方としては)これではスエた、焦げた様な
ムサイ親爺の説教みたいなもので、とまれミケは得心が行かなかった
”性能面で(本当に)優れていたのなら;何故、「勝敗率」にそれが
反映されてないんだろう? これが「日本機」の話なら、もっと探る
人だって、多かろうに・・”、と中学・ガキの頃から思っておったんです
『敵』の事は敵の本・読むなりしなきゃ実相掴めネぇべ・・”、とね・・
今・白状スルと;ミケの『本当の』英語・教材は管楽器・関係の雑誌
やカタログ類(1位);バーボン・ウィスキー各銘柄の由来モノ(2位);
ポルノ誌(購読ハガキと郵便為替送ったら;ホントに来ちゃったノ!)
が3位で、あとはやたらコルセア;ヘルキャット;サンダーボルト;マスタング
等などの本・バッカリでした(『時効』ね、そう、『時効』!)
”あぁ、やっぱりナ”、と感じたもので一番大きかったのは「運用面」でした:
昨今の「抑止力」関連の話題で、よく’有識者’の方々が、アメリカ海兵隊
について、”「海軍陸戦隊」みたいなモンでしょう・・”、いうのがあります。
ミケ:コレ・全然分かんないんですワ
アメリカ海兵隊:その役割は迅速に「総合的(陸も空も)な戦力」を
海軍と連携、その機動力を用いて派遣/展開する事で;シビリアン・
コントロール体制の下での所管はアメリカ合衆国海軍省、となるそうです。
海軍省・所管の軍隊機構は二つ:海軍と海兵隊;決して海軍の一部門
なりディヴィジョンとかではなく;むしろ、陸・空:両軍併せた極・ミニ版で
輸送や訓練等で海軍との連携関係が深い、と捉えるべきなんでしょう:
何せ・創立が、1775年11月10日で;同年10月13日の海軍と、
ヒト月程しか違わない歴史があり、勿論、独立戦争の時にはもう、在った!
ただ、第二次世界大戦後、軍事費・圧縮の動きがあった際、”陸軍と海軍
の連携を深めれば良い事であり、海兵隊はそれらに吸収/統合して廃止
しても可なのでは?”、という議会や陸・海軍の動きも実際・在ったそうです。
****コレは全くミケの予断/Guessの勘ぐりですが****
連邦政府からの(イラクやアフガニスタン等で)軍事費・歳出に逼迫やら
難儀な面があるとしたら、海兵隊などは、「その有用性」を考慮して、
資金面でも協力してくれる同盟国から”離れずに居て置いて欲しい”、
と議会や国務・国防の人達は思惑/願いがあるんでは?・・
****御無礼;コレは勝手なミケ・Guess勘ぐりです****

空母配備の海軍機に替って任務にあたるべく、海兵隊・航空部隊は装備;
編成;訓練されるものである”、という内容の説明書きを英語版・ウィキペディア
に見る事が出来ます - 制空戦闘:なかんずく「空戦」は『主務』には
なりそうもありません;やって欲しい事は他にもっとあった様です・・
海兵隊の搭乗員からすれば海軍や陸軍はあくまで『友軍』;他方、上陸
して地上戦を展開する海兵隊は『自軍』 - 当然の事として、先ず兵員;
それから戦車/装甲車等の戦闘車両;武器弾薬や補給物資等などの揚陸
を護衛する;それから後、”あの高地の見晴らしのイイ場所にどうやらトーチカ:
強固な機銃・銃座があり、全く前に進めない”とか、”どうも、あの丘の向こうから
野砲で撃ってくるようなのだが、どうしても辿り着けない” - 支援・頼む!

懸かりっきりになって、艦艇護衛や地上攻撃で自軍に損失が出れば、叱責
どころか懲罰にすらなっていた事でしょう。 ただ;部隊や機材の上陸/揚陸
を可能にする為には、易々と敵機に近寄られてはやっぱり困るに違いない:
”先ず、制空権を奪取/掌握せよ!”、と命令されれば、やはり軍隊:幾ら、
性能面で分が悪かったF4F ワイルドキャットの装備だった時点でも、彼等なり
に血道をあげ日本機と交戦していましたから、彼等も勇敢に、というより’蛮勇’
に交戦していた事は確かです - というのも、先述の「副次的」な任務:
空母配備の海軍機に替る(又は、補完する)役割。 アメリカ海軍・機動部隊:
珊瑚海海戦・以降、新しい大型高速の「エセックス級」空母が届くまで、暫時
ソロモン海空戦時点では稼動可能な空母と配備の部隊も不足していた。
F6F ヘルキャットより半年以上も早い時点で
まだ、数的にも、技量・練度面でも優勢な
日本の航空戦力と対峙したコルセア:
ただ、ここでまたミケ:変な想像を
してしまうんですワ - 運動性能では
より良好だった、というヘルキャットとはいえ

当時のラバウル航空隊・熟練搭乗員には
却って、組みし易かったカモ知れません
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
本日も当ブログにお越し下さりありがとうございます!
「F4Uコルセア・再考」にサプリメント-2 [F4U コルセア]

**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
前・記事:ミケ鹿馬としては珍しい急加速
を見せ、アクセス数が上がっております
ただ、やはり喜べないのが・・
音楽ブログとして急ダイブ
まぁ、仕方ナカです・・
前に、”自身のブログ更新に「影」を落とす”、と
書きましたが;手許に持ってる/調べられる
範囲で最低限の「裏」は取ろうとすると
やっぱり、こうなってしまうんですワ・・
ただ、アメリカ側・書籍/資料内容も
誰かは伝えておくべきだ、と思っとりまして・・
”F4Uコルセアの戦歴(特に初期の)といえば、アメリカ海兵隊”と、
どうしてもなってしまいがちですが、ソロモン海空戦時に陸上基地から
作戦行動を取り、今でも模型ファンが「コルセア」のマーキングとかで
直ぐ思い浮かぶ、あの「スカル&クロス・ボーンズ」:海賊の旗の様な
骸骨マークを隊のエンブレムにしていたVF-17のトップ・エース:

アイラ・ケプフォード少尉が遭遇した極めて危険な空戦状況を、
コルセアには「かなり重要なマイナー・チェンジ」でもって命からがら
切り抜けた顛末:「最高時速636km/h」から「671出せる」様に
成ったハナシで、これは確か、一度きりしか日本では紹介
されていない(朝日ソノラマ・文庫?・・)エピソード:
CORSAIR ACES - The Bent-Wing Bird Over The Pacific -
ARCO PUBLISHING COMPANY,INC 1979刊に詳しく載ってます
「コルセア戦歴」の前半部、F4U-2を配備した夜間戦闘機部隊
VF(N)-75を例外として、海軍ではVF-17だけになってしまった。
元々は、空母:バンカーヒル上で訓練を積んでいて、その時点での
使用機は、最初期のF4U-1:当初の操縦席が低くて、バードケージ

(鳥篭)型という窓枠の多くはいった風防のタイプ - ところが程なく、
このタイプの機を海兵隊に譲り、より一般的に知られる水滴型・風防の
F4U-1Aに換装、陸上展開部隊として1943年10月、
ニュー・ジョージア島・オンドンガに到着、実戦参加を始めます。
この部隊は、「コルセア戦歴・前半部」としてみれば、かなり高率の
キルレシオ:概ね8:1を記録していたそうです - 無論これは相手
が「全機種」:当時なら日本側はまだまだ強力だった事もあり、
一式陸攻;九七艦攻;九九艦爆などの攻撃機が多数存在し;
これらが空戦時に大きな損失を計上した事もあるでしょう・・
F4Uコルセアは、書籍/資料毎に「最高速度」が、「636」;「652」;
「671」;「684」と何通りか(それは飛行高度によって計測/記録
される数字に差異は出て当然ですが)あって、ミケは少年期から「?」
だったんです。 元々は「636」がどうやら正解らしいのですが、これでも
同じ時期のロッキードP-38 ライトニングと同速ですから「高速艦載機」
に違いありません。 そのF4U-1Aで装備したVF-17:前述の様な
闘いをしながら、拠点自体も段々と「近く」に移しながらラバウル
攻撃の手を強め始めていったようです。

1944年2月19日 08:00AM、飛行隊長:ロジャー・ヘドリック少佐以下、
VF-17の20機がラバウル掃討に出撃、ケプフォードは最上段・カバー
を受け持つ4機の一員。 その4機がラバウルの直ぐ北:ニュー・アイルランド
島まで差し掛かった時、ウィングマン:ドン・マックイーン少尉がエンジン・
トラブルから余儀なく帰投する事になり。 当時は規則上、僚機を欠いた
戦闘参加を禁じていた関係でケプフォードは飛行隊長のヘドリックから
ブーゲンビルへの帰投を命じられた。
本隊の視界からはもう外れ、ブーゲンビルに向かって飛行を続けるケプフォード
は眼下に中島 二式水上戦闘機を発見、ダイヴしながら斉射、撃墜する。
直後、落としてしまった高度を戻す為に上昇しながら見上げると、零戦と
鍾馗(陸軍機? - ただ、連合軍/日本軍どちらもあのソロモン空戦では
「混成チーム」による作戦行動は多々あった事でしょう)大編隊が丁度、
ケプフォードのブーゲンビルへの帰投コースの真上・480mを飛んでいるのに
気付いた。 あらためて波頭ほどの低さに降りながら:”くわばら・クワバラ:
見付からぬうちに・・”と退避行動に入ろうとした時・既に遅く、零戦と鍾馗の
それぞれの編隊から2機ずつ:合わせて4機が急降下して追って来た。
ダイヴで急加速した4機のうちの先頭切っていた零戦が攻撃に入る刹那、
ケプフォードは急いでフラップを伸展 - 急減速したケプフォードのコルセアを
追い越し、前に出てしまった零戦が上昇を始め、銃眼に入った処でケプフォード
はすかさず斉射し、この機を撃墜 - もうこの時には高度は再び50フィート
(15m?!)にまで下がってしまった。
残った3機:(勿論、彼らの「声」までは聴き取れてないけども・・)”この野郎!
コイツだけは絶対・生かして帰さんっ!”、となってただろう、それは・・
左・後方に零戦1機;右・後方に鍾馗が2機:ダイブした時の加速がまだ効いて
いる一方、ケプフォードはさっきの飛行動態で更に速度が下がっている。
ケプフォードの乗機は、この出撃より少し前に新しい機体になっていて、エンジンが
新たに末尾に「W」を加えたプラット&ホイトニー 「R-2800-8W」で、緊急時
にはウォーター・インジェクション・システムが水噴射を効かせエンジン温度を下げ、
通常比:115%程の出力ブーストが可能になった - 当然、速度の積み増しも。
コックピット内:スロットルには、フル・スロットル位置でワイアの留めが掛かった先に
「WEP(ウォー・エマージェンシー・パワー)」が設けられてた - 逡巡する
余裕など無い;ストッパーのワイアを突き切って緊急ブーストに入れると、機体が
大きく振るいながら、一瞬・景色が吹っ飛んだ様な感じで急加速を始め、尾部に
受けていた射弾を音も遠のいていった。
ただ、ここで大問題:振り切ったはいいものの;これでは向かってる先は日本軍側
の勢力下 - どっかで「逆」に向き変えないと帰れない!燃料の残も危ない!
とうとう、フイを突いて左に急旋回;無理に行った急旋回から失速するのを必死で
機体のバランスを取りながら食い止めるケプフォード。 左・後方から追っていた
零戦が内懐に入り込んで、「秒間」射撃するや、機体バランスが崩れ、翼端が
海面に接触して墜落;右後方から追っていた鍾馗・2機はそこまでに位置が
開き過ぎ、追跡を諦めて自軍・編隊の方に引き返していった。

上・画像はケプフォードがその日、帰還したところを皆で出迎える在・ブーゲンビル
海兵隊/海軍の同僚達
帰還後ケプフォードは数日間、心的動揺から振るえが
止まらず、投薬と上官や同僚の話し掛けで鎮まり
元の飛行任務に復帰する迄に数日間要した。
このケプフォードの戦闘体験は、当時コルセアの
エンジン新装備のウォーター・インジェクション機能が
実戦で有効に機能するという事を軍・上層部に伝えた
もっとも初期のものだったそうです。
最高速度:20,000フィートで時速417マイル
(約6,000mで時速671km)まで出せる
様になったF4Uコルセア - とはいえ、この
ケプフォードという搭乗員自体、強運では?・・

**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
本日も当ブログにお越し下さりありがとうございます!
ジャズ・フュージョン関連ブログが盛り沢山:こちらからどうぞ!

美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
前・記事:ミケ鹿馬としては珍しい急加速
を見せ、アクセス数が上がっております
ただ、やはり喜べないのが・・
音楽ブログとして急ダイブ
まぁ、仕方ナカです・・
前に、”自身のブログ更新に「影」を落とす”、と
書きましたが;手許に持ってる/調べられる
範囲で最低限の「裏」は取ろうとすると
やっぱり、こうなってしまうんですワ・・
ただ、アメリカ側・書籍/資料内容も
誰かは伝えておくべきだ、と思っとりまして・・
”F4Uコルセアの戦歴(特に初期の)といえば、アメリカ海兵隊”と、
どうしてもなってしまいがちですが、ソロモン海空戦時に陸上基地から
作戦行動を取り、今でも模型ファンが「コルセア」のマーキングとかで
直ぐ思い浮かぶ、あの「スカル&クロス・ボーンズ」:海賊の旗の様な
骸骨マークを隊のエンブレムにしていたVF-17のトップ・エース:

コルセアには「かなり重要なマイナー・チェンジ」でもって命からがら
切り抜けた顛末:「最高時速636km/h」から「671出せる」様に
成ったハナシで、これは確か、一度きりしか日本では紹介
されていない(朝日ソノラマ・文庫?・・)エピソード:
CORSAIR ACES - The Bent-Wing Bird Over The Pacific -
ARCO PUBLISHING COMPANY,INC 1979刊に詳しく載ってます
「コルセア戦歴」の前半部、F4U-2を配備した夜間戦闘機部隊
VF(N)-75を例外として、海軍ではVF-17だけになってしまった。
元々は、空母:バンカーヒル上で訓練を積んでいて、その時点での
使用機は、最初期のF4U-1:当初の操縦席が低くて、バードケージ

このタイプの機を海兵隊に譲り、より一般的に知られる水滴型・風防の
F4U-1Aに換装、陸上展開部隊として1943年10月、
ニュー・ジョージア島・オンドンガに到着、実戦参加を始めます。
この部隊は、「コルセア戦歴・前半部」としてみれば、かなり高率の
キルレシオ:概ね8:1を記録していたそうです - 無論これは相手
が「全機種」:当時なら日本側はまだまだ強力だった事もあり、
一式陸攻;九七艦攻;九九艦爆などの攻撃機が多数存在し;
これらが空戦時に大きな損失を計上した事もあるでしょう・・
F4Uコルセアは、書籍/資料毎に「最高速度」が、「636」;「652」;
「671」;「684」と何通りか(それは飛行高度によって計測/記録
される数字に差異は出て当然ですが)あって、ミケは少年期から「?」
だったんです。 元々は「636」がどうやら正解らしいのですが、これでも
同じ時期のロッキードP-38 ライトニングと同速ですから「高速艦載機」
に違いありません。 そのF4U-1Aで装備したVF-17:前述の様な
闘いをしながら、拠点自体も段々と「近く」に移しながらラバウル
攻撃の手を強め始めていったようです。

VF-17の20機がラバウル掃討に出撃、ケプフォードは最上段・カバー
を受け持つ4機の一員。 その4機がラバウルの直ぐ北:ニュー・アイルランド
島まで差し掛かった時、ウィングマン:ドン・マックイーン少尉がエンジン・
トラブルから余儀なく帰投する事になり。 当時は規則上、僚機を欠いた
戦闘参加を禁じていた関係でケプフォードは飛行隊長のヘドリックから
ブーゲンビルへの帰投を命じられた。
本隊の視界からはもう外れ、ブーゲンビルに向かって飛行を続けるケプフォード
は眼下に中島 二式水上戦闘機を発見、ダイヴしながら斉射、撃墜する。
直後、落としてしまった高度を戻す為に上昇しながら見上げると、零戦と
鍾馗(陸軍機? - ただ、連合軍/日本軍どちらもあのソロモン空戦では
「混成チーム」による作戦行動は多々あった事でしょう)大編隊が丁度、
ケプフォードのブーゲンビルへの帰投コースの真上・480mを飛んでいるのに
気付いた。 あらためて波頭ほどの低さに降りながら:”くわばら・クワバラ:
見付からぬうちに・・”と退避行動に入ろうとした時・既に遅く、零戦と鍾馗の
それぞれの編隊から2機ずつ:合わせて4機が急降下して追って来た。
ダイヴで急加速した4機のうちの先頭切っていた零戦が攻撃に入る刹那、
ケプフォードは急いでフラップを伸展 - 急減速したケプフォードのコルセアを
追い越し、前に出てしまった零戦が上昇を始め、銃眼に入った処でケプフォード
はすかさず斉射し、この機を撃墜 - もうこの時には高度は再び50フィート
(15m?!)にまで下がってしまった。
残った3機:(勿論、彼らの「声」までは聴き取れてないけども・・)”この野郎!
コイツだけは絶対・生かして帰さんっ!”、となってただろう、それは・・
左・後方に零戦1機;右・後方に鍾馗が2機:ダイブした時の加速がまだ効いて
いる一方、ケプフォードはさっきの飛行動態で更に速度が下がっている。
ケプフォードの乗機は、この出撃より少し前に新しい機体になっていて、エンジンが
新たに末尾に「W」を加えたプラット&ホイトニー 「R-2800-8W」で、緊急時
にはウォーター・インジェクション・システムが水噴射を効かせエンジン温度を下げ、
通常比:115%程の出力ブーストが可能になった - 当然、速度の積み増しも。
コックピット内:スロットルには、フル・スロットル位置でワイアの留めが掛かった先に
「WEP(ウォー・エマージェンシー・パワー)」が設けられてた - 逡巡する
余裕など無い;ストッパーのワイアを突き切って緊急ブーストに入れると、機体が
大きく振るいながら、一瞬・景色が吹っ飛んだ様な感じで急加速を始め、尾部に
受けていた射弾を音も遠のいていった。
ただ、ここで大問題:振り切ったはいいものの;これでは向かってる先は日本軍側
の勢力下 - どっかで「逆」に向き変えないと帰れない!燃料の残も危ない!
とうとう、フイを突いて左に急旋回;無理に行った急旋回から失速するのを必死で
機体のバランスを取りながら食い止めるケプフォード。 左・後方から追っていた
零戦が内懐に入り込んで、「秒間」射撃するや、機体バランスが崩れ、翼端が
海面に接触して墜落;右後方から追っていた鍾馗・2機はそこまでに位置が
開き過ぎ、追跡を諦めて自軍・編隊の方に引き返していった。

海兵隊/海軍の同僚達
帰還後ケプフォードは数日間、心的動揺から振るえが
止まらず、投薬と上官や同僚の話し掛けで鎮まり
元の飛行任務に復帰する迄に数日間要した。
このケプフォードの戦闘体験は、当時コルセアの
エンジン新装備のウォーター・インジェクション機能が
実戦で有効に機能するという事を軍・上層部に伝えた
もっとも初期のものだったそうです。
最高速度:20,000フィートで時速417マイル
(約6,000mで時速671km)まで出せる
様になったF4Uコルセア - とはいえ、この
ケプフォードという搭乗員自体、強運では?・・

美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
本日も当ブログにお越し下さりありがとうございます!
「F4Uコルセア・再考」:サプリメント-1 [F4U コルセア]

**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
”済んでしまった事だし、過去ばっかりは
変わり様が無いよ” - そうでしょうか?
いえ、「事象」そのものは変わらなくとも
「認識」が変わると、「過去」もやはり変わる・・
すると、「今日」や「明日・明後日」の道筋も
違ってくる。 時代考証とかの『考証』とは
実は、「昨日/今日」の時点から始まって
いるものなのかも知れません - 「これから」の
『抑止力』考察ヒントすら見えるカモです・・
白状しますと、自身のブログ更新に「影」を落としてるのが、
この関連 - ミケ自身はまるっきり「反戦主義」です。
ところが・・、ジャズ/音楽・ブログを標榜しているのに
記事別・アクセスでキイワード:「F4Uコルセア」での、
ミケ鹿馬ブログの認知度が遥かに上回ってた・・
”拙い事になったが、こうなると下手な事は書けんナ・・”
っていう経緯 - 「敵機」の事って書き辛い;
とはいえ、退くに退けなくなってしまった・・
立派な装填の本ではなし;プラモデル解説書のトップ部キャプション
とかに’高速性能と大火力で日本機を圧倒した「空の海賊」’
みたいなのがあって;少年期からミケには一番「もっとも」に思え
ました、又、最近の雑誌で「ラバウル航空隊」を採り上げたもの
に、「敵機たち」セクションでF4Uコルセアについては「高空/高速
性能と火力で零戦に対し優勢な面もあったが、低空/格闘性能
に難も有り - 『互角』だった」という趣旨の事が載っていました。
これは、対・零戦の『通期』では無しに対・「ラバウル航空隊」な処
に”もっともです”、と謂える - 概ね560km vs.636kmと先ず、
速度性能で凌駕し得る機体に機種転換して、漸く、技量/練度

で差のある日本の航空戦力と互角に漕ぎ着けた:これは、成る程。
それに、旋回性能を駆使する低速度での格闘戦といったテクニカル
な面を可能な限り回避して、一撃離脱戦法に徹して高速度と
大火力で「押し通して」戦局を切り拓いた:これも、成る程です。
全般的に性能面では下回っていたグラマンF6Fヘルキャットが殊、
日本では対・零戦の謂って見れば「蛇とマングース的・決定打」
とテレビや書籍などで扱われおり、実際、申告・撃墜総数やそこから
割り出したキルレシオも数値上、コルセアを上回っています。
ただミケは、それには「何か」それなりの要因が、一つでは無く幾つか
あったのじゃぁなかろうか、と思った訳です。
当時の海兵隊の戦闘機部隊 - どうも、無茶な運用が目に付く:
当初の旧式ワイルドキャットからF4Uコルセアへの機種転換にしろ、
戦争末期の機動部隊の空母配備にしても都度都度、慣熟訓練の
為の時間的余裕というものが犠牲に遭っていた様に思えるんです。
実際、ソロモン海空戦時、前線でコルセアに機種転換し、充分な
飛行時間を慣熟に充てずに「Go!」、という部隊が数多く存在して

いて、これでは「新鋭機」のアドヴァンテージとディス・アドヴァンテージ
の吟味も不充分な訳です - 究極のO・J・T;しかも対手はあの
ラバウル航空隊ですから・・ 凄まじい「蛮勇」と謂えるでしょう。
戦争末期の空母搭載でも実際の戦闘以前に、離着艦や計器飛行
や航法などの訓練で甚だしい損失を出し、当時の海兵隊・搭乗員
達は”海軍搭乗員が半年掛けた内容を一週間で消化しろ、というのは
幾らなんでも殺生なハナシだ”、と言っていたそうです。
とはいっても、やはり軍隊:上層部がそうと決めたら遂行あるのみだった。
他方、海軍航空部隊については、戦時中(それも「総力戦」)としては
ある程度、練成に時間も割け、とてもF6Fヘルキャットが「扱い易い」

機体だった、というだけでは無さそうです。
戦争終結時点で「11・3対1」とされた
F4Uコルセアのキルレシオ:では、当初の
例えばソロモン海空戦・時点では、
一体どうだったのでしょうか?
まず、謂わば(譬えは悪いですが)
損益分岐点:「互角」を漸く上回り、
日本側が補給面で苦しみ出してから
(岩本 ; 西沢 両中尉などのエースの存在
が在ったにせよ)徐々・大局的に押していった
ただ、「11・3対1」などとは程遠かった。
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
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美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
”済んでしまった事だし、過去ばっかりは
変わり様が無いよ” - そうでしょうか?
いえ、「事象」そのものは変わらなくとも
「認識」が変わると、「過去」もやはり変わる・・
すると、「今日」や「明日・明後日」の道筋も
違ってくる。 時代考証とかの『考証』とは
実は、「昨日/今日」の時点から始まって
いるものなのかも知れません - 「これから」の
『抑止力』考察ヒントすら見えるカモです・・
白状しますと、自身のブログ更新に「影」を落としてるのが、
この関連 - ミケ自身はまるっきり「反戦主義」です。
ところが・・、ジャズ/音楽・ブログを標榜しているのに
記事別・アクセスでキイワード:「F4Uコルセア」での、
ミケ鹿馬ブログの認知度が遥かに上回ってた・・
”拙い事になったが、こうなると下手な事は書けんナ・・”
っていう経緯 - 「敵機」の事って書き辛い;
とはいえ、退くに退けなくなってしまった・・
立派な装填の本ではなし;プラモデル解説書のトップ部キャプション
とかに’高速性能と大火力で日本機を圧倒した「空の海賊」’
みたいなのがあって;少年期からミケには一番「もっとも」に思え
ました、又、最近の雑誌で「ラバウル航空隊」を採り上げたもの
に、「敵機たち」セクションでF4Uコルセアについては「高空/高速
性能と火力で零戦に対し優勢な面もあったが、低空/格闘性能
に難も有り - 『互角』だった」という趣旨の事が載っていました。
これは、対・零戦の『通期』では無しに対・「ラバウル航空隊」な処
に”もっともです”、と謂える - 概ね560km vs.636kmと先ず、
速度性能で凌駕し得る機体に機種転換して、漸く、技量/練度

それに、旋回性能を駆使する低速度での格闘戦といったテクニカル
な面を可能な限り回避して、一撃離脱戦法に徹して高速度と
大火力で「押し通して」戦局を切り拓いた:これも、成る程です。
全般的に性能面では下回っていたグラマンF6Fヘルキャットが殊、
日本では対・零戦の謂って見れば「蛇とマングース的・決定打」
とテレビや書籍などで扱われおり、実際、申告・撃墜総数やそこから
割り出したキルレシオも数値上、コルセアを上回っています。
ただミケは、それには「何か」それなりの要因が、一つでは無く幾つか
あったのじゃぁなかろうか、と思った訳です。
当時の海兵隊の戦闘機部隊 - どうも、無茶な運用が目に付く:
当初の旧式ワイルドキャットからF4Uコルセアへの機種転換にしろ、
戦争末期の機動部隊の空母配備にしても都度都度、慣熟訓練の
為の時間的余裕というものが犠牲に遭っていた様に思えるんです。
実際、ソロモン海空戦時、前線でコルセアに機種転換し、充分な
飛行時間を慣熟に充てずに「Go!」、という部隊が数多く存在して

の吟味も不充分な訳です - 究極のO・J・T;しかも対手はあの
ラバウル航空隊ですから・・ 凄まじい「蛮勇」と謂えるでしょう。
戦争末期の空母搭載でも実際の戦闘以前に、離着艦や計器飛行
や航法などの訓練で甚だしい損失を出し、当時の海兵隊・搭乗員
達は”海軍搭乗員が半年掛けた内容を一週間で消化しろ、というのは
幾らなんでも殺生なハナシだ”、と言っていたそうです。
とはいっても、やはり軍隊:上層部がそうと決めたら遂行あるのみだった。
他方、海軍航空部隊については、戦時中(それも「総力戦」)としては
ある程度、練成に時間も割け、とてもF6Fヘルキャットが「扱い易い」

戦争終結時点で「11・3対1」とされた
F4Uコルセアのキルレシオ:では、当初の
例えばソロモン海空戦・時点では、
一体どうだったのでしょうか?
まず、謂わば(譬えは悪いですが)
損益分岐点:「互角」を漸く上回り、
日本側が補給面で苦しみ出してから
(岩本 ; 西沢 両中尉などのエースの存在
が在ったにせよ)徐々・大局的に押していった
ただ、「11・3対1」などとは程遠かった。
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
本日も当ブログにお越し下さりありがとうございます!
F4Uコルセア・キルレシオ再考・前半 [F4U コルセア]

**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
『抑止力』について様々な意見が交わされている昨今;
キナ臭い紛争や軍事行動を今・現在、直接的に
体験させられていない私達:日本人が多少の
「平和呆け」を有しているのは致し方ない
処です;ただ、65年程前、イッパシの軍事国家
だった日本と、その20倍強の生産力を有した敵国
が血道をあげて闘った史実を想起してみるのも
今の「抑止力・考察」の邪魔にはなりません。

開戦当時、FDRは炉辺談話でアメリカ国民を
シッカリ脅かしていた:”仮に、この戦争に敗北したら
ひと世代、いや一世紀;民主主義を取り戻せない
事となりましょう・・” - 最悪の経済スランプから
”多少は立ち直ったかナ”、と感じ始めたアメリカ人:
頭っから冷や水だった事でしょう(もっとも、日本
では「欠食児童」などという惨めな状況もあり、
決して意地汚い進出をしたとも謂えない部分も)。
彼らが一生懸命、戦時国債を買って送り出した
当初のF4FワイルドキャットやカーチスP-40は
極めて悪戦苦闘の状態・・
陸軍のP-38ライトニングと海軍のF4Uコルセア:各々の原型が
「400マイル越え」したのは1940年の事で、これら時速644km級
の「敵機」といずれ闘うことになろう、というのは日本側の上層部も
ある程度、想定していたのでは?、とも思うんですが・・(その点、
P-51マスタングやF6Fヘルキャットは、かなり想定外だったか)
最初の生産型のF4U-1が離着艦性能の悪さから「空母上の運用
は不適」とされ、海兵隊の航空部隊に全て廻された:これは、却って
この時点では良かった、と謂えるでしょう - アメリカ側も作戦可能な
空母の手持ちが恐らく最も少なかった時期でもあり、且つ、ガダルカナル
とかソロモン群島の戦闘が陸も空も熾烈を極め、未だ旧式・機種が
多勢を占めていた陸上基地展開部隊は、質でも量でも日本軍の
前に苦しんでいた - 「物量に勝る敵」いうのはもっと後のハナシですよ。

最初の海兵隊コルセア部隊:VMF-124が前線に出てきたのが
1943年2月12日。 ヴァレンタイン・デーにあたる翌々日に最初の
日本機との交戦 - これは一敗地にまみれた、と謂う状況でした。
それに、そもそもコルセアは仲間内でまだまだ数的に少数派でした。
4月頃から出撃回数が多くなり、他の海兵隊戦闘機部隊も漸く、
ワイルドキャットからコルセアに機種転換が進んでいきます。
ケネス・ウォルシュ少尉が、「最初の部隊」からコルセアの「最初
のエース(撃墜5機以上)」として5月中旬に記録されます。
ウォルシュ少尉(当時)の零戦など日本機との空戦に関する述懐
は概ね:”高度上、有利に占位するのと自機の速度を決して落と
さない事が決定的要素;零戦に対して低空/低速で格闘状態に
入るのは致命的だ - 自身そういう状況で闘ったこともあったが、
運が良かったと謂うべきだろう;私自身3度撃墜されている・・”
(戦争全期・通したコルセアの被撃墜総数は189機:一人で「3機」
も有るのに?・・) ただし;シッカリ作戦参加し、極めて忠実に任務を
遂行し、すんでの処で幾度も撃墜機会を逃し、規定ミッション回数を
消化し、撃墜記録「0」で除隊した搭乗員:これはこれで大勢いた
ことでしょう - アグレッシヴな空戦をした人達ほど、手傷を負う事
も、やはり多くなるのでしょう・・
ともあれ、謂わば「混成軍」としてソロモンに展開していた連合軍・中、
陸軍でP-38ライトニング;そして海兵隊でコルセアの占める割合が
増えるにつれ、劣勢から互角;さらに徐々に優勢に転じていきました。
当初、P-38を「ぺろ・ハチ」とカラカイ、数え歌にしていた腕の立つ、
手練れの日本側搭乗員達も、「シコルスキ(同系列会社名)」と呼んでいた
コルセアが加わって、段々それを「小癪な」相手と捉え出していきます・・
この辺りが『前半』のまた、前半いう感じではないでしょうか:
7月初旬に、当時展開していた海兵隊の8個の戦闘機部隊、
その全てがF4Uコルセアへの機種転換を終えました。
更に、10月下旬には海軍で唯一のコルセア部隊:VF-17も
オンドンガ、その後ブーゲンビルに陸上基地展開して加わりました。

確かに、岩本 徹三中尉や西沢広義中尉ほか、コルセアとの空戦で
多大な戦果を挙げた搭乗員も多く存在しました - 西沢広義
さん関連で、”あんな的のデッカイ奴:何処に撃っても当たるダロ”
という、ド・エライ話も・・;他方、総体的な戦局はいよいよ日本側
には悪くなっていきます - ミケ・察するに、よく語られる航空兵力
だけではなく、アメリカ側の潜水艦の奮戦もあった上で、補給と諜報
をズタズタにしていった事が要因となるのでは・・ というのも:元々は、
日本側が機体性能と搭乗員・練度という「質」が優れていた上に、
数的にも遥かに優勢だったものが - 些か不謹慎かもしれませんが
少年野球などのスポーツ遠征に譬えてみますと:先に日本側が
「遠征費とお弁当」で苦しくなってしまった。 そして、連合軍側の

ファイター・スィープ(「戦闘機狩り」 - 空戦での撃墜/破であれ、
駐機しているものを地上撃破であれ)の頻度が増す、これによって、
日本側の出撃可能な「実質の員数」が相対的に大きく減衰・・
終戦から干支で一回りも経って生まれたミケには、どうしても日本機に
対してコルセアが採った空戦・戦法がクッキリと思い描けないんですが;
これまた不謹慎な譬え - 例えば自動車で、すばしっこい「軽」(古い
ですが零戦の「ミツビシ」にちなんで、ミニカ・ダンガンとか)と(これまた古い
ですが)コルベット・スティングレイみたいなのが張り合った、と置き換えて:
「どこそこ山・スカイラインでの山道ドライブ」 - 5合目まで「軽」スイスイ
なるも、6合目からもっと昇ると、馬力/排気量/トルクにまさる「豪華車」
が捕まえる、これが「下り坂」なら「豪華車」にマクられたら”嫌ッ!”ですよね。
「大都会の超渋滞・街道」 - 何十メートル毎・しょっちゅう信号で止め
られる上、隙を見て車線変更するのも極めて難しい - この状況なら
スポーツ・カー風の「豪華車」も意外と緩慢/鈍重にしか動けないかも・・
他方、高速度での急ハンドルもホイール・ベースやタイヤ・サイズの大きい車なら
何とか効くでしょうが、「軽」がコレにつられて同じ事をしたら;大変!・・
**極めて不謹慎なタトエで本当に相済みません**
このブログ上、『前半』とした期間にアメリカ本国では捕獲した零戦
との模擬空戦が試行され、”「性能上は」明らかにスーペリアー”
と判定した他に、陸軍の各機種:サンダーボルト;マスタング;
ライトニング;P-39エアコブラとの「格闘・模擬戦」でも
全て「優勢」と看做されていたそうです - それに、零戦や隼の
俊敏な運動性能は日本機の中に於いてすら例外的と謂えたのかも・・
”格闘戦に持ち込もうとするゼロを追っては駄目だ”、とかなり早期から
指示は出されていた様ですが;一方、当の搭乗員にすれば動物的
な反応で相手が逃げれば射撃・機会を期待して追いたくなろうし、
それで所謂「コルセアが一廻りの間に零戦は三廻り」のスピード・レベル
になって深みにはまる事が初期の空戦では殊に多かったようです:
これはもう、一端追い越してから態勢を立て直すしかないでしょう・・
そうして経験を積み海兵隊の搭乗員が、「性能上」スーペリアーなコルセア
を有効に乗りこなしていったんでしょう - 半年以上後に海軍の空母

運用機:F6Fヘルキャットが実戦参加した9月初旬には、もう既に
日本のラバウル航空隊・中に「消耗により解散/残存搭乗員を転属」
と、規模的な細りが顕れ始めていました。
陸上のコルセア;空母のヘルキャット:両・新鋭機が揃った1943年晩秋
からの制空戦闘でラバウル航空隊は決定的に追い詰められて行き、
その大部分が後退していった先のトラック島も大規模な空襲に遭って
翌、1944年2月20日で、実質的な存在を終えました - ただ、
連合軍は「ラバウル攻略」は試みず、「孤立化」させて行きました。
陸上基地展開の海兵隊のコルセアはその後、
マキン・タラワなどのギルバート諸島;
マーシャル諸島;そしてグアム
と場所を移し展開/転戦:
特にこの頃から「制空戦闘」よりも
低空爆撃や機銃掃射など「地上支援」

のソーティ/出撃が増えて行きます。
此処で、その後海軍・ヘルキャット部隊の
マリアナ方面に於ける様な航空戦での
大きい「荒稼ぎ」とは一旦、縁が切れ;
以後、「キルレシオ上」、ヘルキャット
に勝る機会はもう、出て来ません
ただ、ここからコルセアの出番:
「ずうっと先」の航空兵力の
定義を暗示して行きます
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
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美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
『抑止力』について様々な意見が交わされている昨今;
キナ臭い紛争や軍事行動を今・現在、直接的に
体験させられていない私達:日本人が多少の
「平和呆け」を有しているのは致し方ない
処です;ただ、65年程前、イッパシの軍事国家
だった日本と、その20倍強の生産力を有した敵国
が血道をあげて闘った史実を想起してみるのも
今の「抑止力・考察」の邪魔にはなりません。

シッカリ脅かしていた:”仮に、この戦争に敗北したら
ひと世代、いや一世紀;民主主義を取り戻せない
事となりましょう・・” - 最悪の経済スランプから
”多少は立ち直ったかナ”、と感じ始めたアメリカ人:
頭っから冷や水だった事でしょう(もっとも、日本
では「欠食児童」などという惨めな状況もあり、
決して意地汚い進出をしたとも謂えない部分も)。
彼らが一生懸命、戦時国債を買って送り出した
当初のF4FワイルドキャットやカーチスP-40は
極めて悪戦苦闘の状態・・
陸軍のP-38ライトニングと海軍のF4Uコルセア:各々の原型が
「400マイル越え」したのは1940年の事で、これら時速644km級
の「敵機」といずれ闘うことになろう、というのは日本側の上層部も
ある程度、想定していたのでは?、とも思うんですが・・(その点、
P-51マスタングやF6Fヘルキャットは、かなり想定外だったか)
最初の生産型のF4U-1が離着艦性能の悪さから「空母上の運用
は不適」とされ、海兵隊の航空部隊に全て廻された:これは、却って
この時点では良かった、と謂えるでしょう - アメリカ側も作戦可能な
空母の手持ちが恐らく最も少なかった時期でもあり、且つ、ガダルカナル
とかソロモン群島の戦闘が陸も空も熾烈を極め、未だ旧式・機種が
多勢を占めていた陸上基地展開部隊は、質でも量でも日本軍の
前に苦しんでいた - 「物量に勝る敵」いうのはもっと後のハナシですよ。

1943年2月12日。 ヴァレンタイン・デーにあたる翌々日に最初の
日本機との交戦 - これは一敗地にまみれた、と謂う状況でした。
それに、そもそもコルセアは仲間内でまだまだ数的に少数派でした。
4月頃から出撃回数が多くなり、他の海兵隊戦闘機部隊も漸く、
ワイルドキャットからコルセアに機種転換が進んでいきます。
ケネス・ウォルシュ少尉が、「最初の部隊」からコルセアの「最初
のエース(撃墜5機以上)」として5月中旬に記録されます。
ウォルシュ少尉(当時)の零戦など日本機との空戦に関する述懐
は概ね:”高度上、有利に占位するのと自機の速度を決して落と
さない事が決定的要素;零戦に対して低空/低速で格闘状態に
入るのは致命的だ - 自身そういう状況で闘ったこともあったが、
運が良かったと謂うべきだろう;私自身3度撃墜されている・・”
(戦争全期・通したコルセアの被撃墜総数は189機:一人で「3機」
も有るのに?・・) ただし;シッカリ作戦参加し、極めて忠実に任務を
遂行し、すんでの処で幾度も撃墜機会を逃し、規定ミッション回数を
消化し、撃墜記録「0」で除隊した搭乗員:これはこれで大勢いた
ことでしょう - アグレッシヴな空戦をした人達ほど、手傷を負う事
も、やはり多くなるのでしょう・・
ともあれ、謂わば「混成軍」としてソロモンに展開していた連合軍・中、
陸軍でP-38ライトニング;そして海兵隊でコルセアの占める割合が
増えるにつれ、劣勢から互角;さらに徐々に優勢に転じていきました。
当初、P-38を「ぺろ・ハチ」とカラカイ、数え歌にしていた腕の立つ、
手練れの日本側搭乗員達も、「シコルスキ(同系列会社名)」と呼んでいた
コルセアが加わって、段々それを「小癪な」相手と捉え出していきます・・
この辺りが『前半』のまた、前半いう感じではないでしょうか:
7月初旬に、当時展開していた海兵隊の8個の戦闘機部隊、
その全てがF4Uコルセアへの機種転換を終えました。
更に、10月下旬には海軍で唯一のコルセア部隊:VF-17も
オンドンガ、その後ブーゲンビルに陸上基地展開して加わりました。

多大な戦果を挙げた搭乗員も多く存在しました - 西沢広義
さん関連で、”あんな的のデッカイ奴:何処に撃っても当たるダロ”
という、ド・エライ話も・・;他方、総体的な戦局はいよいよ日本側
には悪くなっていきます - ミケ・察するに、よく語られる航空兵力
だけではなく、アメリカ側の潜水艦の奮戦もあった上で、補給と諜報
をズタズタにしていった事が要因となるのでは・・ というのも:元々は、
日本側が機体性能と搭乗員・練度という「質」が優れていた上に、
数的にも遥かに優勢だったものが - 些か不謹慎かもしれませんが
少年野球などのスポーツ遠征に譬えてみますと:先に日本側が
「遠征費とお弁当」で苦しくなってしまった。 そして、連合軍側の

駐機しているものを地上撃破であれ)の頻度が増す、これによって、
日本側の出撃可能な「実質の員数」が相対的に大きく減衰・・
終戦から干支で一回りも経って生まれたミケには、どうしても日本機に
対してコルセアが採った空戦・戦法がクッキリと思い描けないんですが;
これまた不謹慎な譬え - 例えば自動車で、すばしっこい「軽」(古い
ですが零戦の「ミツビシ」にちなんで、ミニカ・ダンガンとか)と(これまた古い
ですが)コルベット・スティングレイみたいなのが張り合った、と置き換えて:
「どこそこ山・スカイラインでの山道ドライブ」 - 5合目まで「軽」スイスイ
なるも、6合目からもっと昇ると、馬力/排気量/トルクにまさる「豪華車」
が捕まえる、これが「下り坂」なら「豪華車」にマクられたら”嫌ッ!”ですよね。
「大都会の超渋滞・街道」 - 何十メートル毎・しょっちゅう信号で止め
られる上、隙を見て車線変更するのも極めて難しい - この状況なら
スポーツ・カー風の「豪華車」も意外と緩慢/鈍重にしか動けないかも・・
他方、高速度での急ハンドルもホイール・ベースやタイヤ・サイズの大きい車なら
何とか効くでしょうが、「軽」がコレにつられて同じ事をしたら;大変!・・
**極めて不謹慎なタトエで本当に相済みません**
このブログ上、『前半』とした期間にアメリカ本国では捕獲した零戦
との模擬空戦が試行され、”「性能上は」明らかにスーペリアー”
と判定した他に、陸軍の各機種:サンダーボルト;マスタング;
ライトニング;P-39エアコブラとの「格闘・模擬戦」でも
全て「優勢」と看做されていたそうです - それに、零戦や隼の
俊敏な運動性能は日本機の中に於いてすら例外的と謂えたのかも・・
”格闘戦に持ち込もうとするゼロを追っては駄目だ”、とかなり早期から
指示は出されていた様ですが;一方、当の搭乗員にすれば動物的
な反応で相手が逃げれば射撃・機会を期待して追いたくなろうし、
それで所謂「コルセアが一廻りの間に零戦は三廻り」のスピード・レベル
になって深みにはまる事が初期の空戦では殊に多かったようです:
これはもう、一端追い越してから態勢を立て直すしかないでしょう・・
そうして経験を積み海兵隊の搭乗員が、「性能上」スーペリアーなコルセア
を有効に乗りこなしていったんでしょう - 半年以上後に海軍の空母

日本のラバウル航空隊・中に「消耗により解散/残存搭乗員を転属」
と、規模的な細りが顕れ始めていました。
陸上のコルセア;空母のヘルキャット:両・新鋭機が揃った1943年晩秋
からの制空戦闘でラバウル航空隊は決定的に追い詰められて行き、
その大部分が後退していった先のトラック島も大規模な空襲に遭って
翌、1944年2月20日で、実質的な存在を終えました - ただ、
連合軍は「ラバウル攻略」は試みず、「孤立化」させて行きました。
陸上基地展開の海兵隊のコルセアはその後、
マキン・タラワなどのギルバート諸島;
マーシャル諸島;そしてグアム
と場所を移し展開/転戦:
特にこの頃から「制空戦闘」よりも
低空爆撃や機銃掃射など「地上支援」

此処で、その後海軍・ヘルキャット部隊の
マリアナ方面に於ける様な航空戦での
大きい「荒稼ぎ」とは一旦、縁が切れ;
以後、「キルレシオ上」、ヘルキャット
に勝る機会はもう、出て来ません
ただ、ここからコルセアの出番:
「ずうっと先」の航空兵力の
定義を暗示して行きます
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
本日も当ブログにお越し下さりありがとうございます!
F4Uコルセア・キルレシオ再考・イントロ [F4U コルセア]

**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
如何な「高齢化社会」となった昨今でも、太平洋戦争に
関わる自身又は同世代の(前線の将兵としても;銃後の
一般市民としても)「実体験」を伝え得る、現在80歳代・
後半から90代以上の方々は、少しずつ我々から離れて
行く現状:これはアメリカであれ/日本であれ、同様です。
後世代の者に出来る事 - 聴けるだけ広範囲に聴き、
後は、精一杯自分のイマジネーションを使う。
極めて卑近な喩えですが:”このシチューの味どう?”、と
作った人が訊けば - ”ウーっ、濃すぎ!うめて・ウメテ!”
一方では: ”何だコレ? 味ないじゃないかヨ!”・・
少年期からミケが個人的に「気になってた」戦闘機

ただ一機種の話題に過ぎませんが;そこに、闘った双方、
それぞれなりの「記録」と「記憶や印象」がありました・・
父親が、自分の戦闘トラウマ(ある意味;今風に言えばPTSD、これ、
絶対アッタよ)からミケに、”日本機の模型は作るナ”という「禁止令」?
(中学時代、観れなかったのがあったナ:「徳川OOクス禁止令」・・)が
あってF4Uコルセアのキット作ってるのを見て、説明書かなんかチラっと
読んで、”何! P-38より高速の「艦載機」?! ソンなのいたのか、
じゃあ、P-51と同格じゃないか・・、 それも艦載機で?、ホホウ・・”
野砲隊を率い、北支の前線で闘っていたミケ・父:遭遇した米軍機は
全て陸軍機 - 「P-38を上回るならP-51級ダロ」、という発想。
(確かにソウかも・・、依然として、エア・レース・プロペラ機部門で
性懲りも無く、マスタングとコルセア:張り合って飛んでるミタイです)
ただ、「愛国心」をチャンと持ってたミケ・少年;悩む - 日本機が奮戦
した話もイッパイある;他方、プラモデル作ってるうちに何か親近感も・・
”キミ、ソンナに強かったの?;それとも「状況」で様々だったの?・・”
実際にコルセアに遭遇した日本軍側には;少なくとも3種類の体験が
そこには在ったのでは?、とミケは今も考えるんです:
1.爆弾やロケット弾といった外付けの重武装で低空を、緩慢・鈍重
に飛来・侵入して来る(戦闘機というより)艦爆とか攻撃機。
2.空戦となって、小回りを利かせた「格闘戦」に持ち込もうとすると、
アッサリ・飛び去って;チーム戦で、一航過ごとの銃撃を繰り返す、
手応えの無い敵 - グラマン(ヘルキャット)ならもっと追い回した。
3.中高度以上で空戦となった;降下の加速も加わってか、超高速で
瞬く間に射程に捉えて銃撃して来た - 退避の術は無かった。
仮に「3」だったら日本側からは裏付証言の出て来よう筈が無い。

戦争が終結してからの集計で、最終的に「11・3対1」という、
空戦・戦果/損失比:出だしはコンナ数字では無かったろうに・・
1943年(昭和18年)の2月中旬に最初のコルセア部隊が出撃
してから1945年(昭和20年)8月中旬迄の2年6ヶ月を
1年3ヶ月程に前/後半に分けて、以降考えてみようと思った訳です。
「タネ・本」としては、例えば日本の文林堂・刊:「世界の傑作機」でも
ミケが中学時代から知る限りで三回 版が変わってて、3つとも持って
いますが;イギリス(アメリカ本国より戦記本多い)やアメリカで出たのを
メール・オーダーで集めたもの - この画像より、もう少し多いです。

「空戦」にあたる英語なら"Air Combat":"Dog Fight"は「格闘戦」
、あくまで空戦上の一側面 - "Hit & Run"の一撃離脱戦法に
徹し勝機を得るか、互いに相手の背後に回り込む格闘戦に深入りして
被撃墜損失を喫するか:ここが、コルセアの対・日本機空戦の分かれ道。
一方、その「格闘戦」ですら、行われる速度レベルがどんどん速くなって
いくにつれ、「運動性能」や「格闘性能」というものでも「以外な」
アドヴァンテージを発揮していった様子も垣間見られます。
日本国/日本人も随分と変わりましたが、「この・お題」に出て来る
アメリカ/アメリカ人も、今の如く覇権を振り回す「超大国」とは大違い:
開戦以前にみくびっていた日本の航空技術力に一旦痛打を浴びたものの、
その後ある意味で謙虚に且つ、死に物狂いで立ち向かった過程が
見えてもくるのです:自分達が、ナチス・ドイツや大日本帝国に対して
「敗戦国」になってしまったら一体どういう目に遭うのか - 彼らも、
それは・それは・・、必死だったのでしょう。
大戦中、日本軍に対し直接的「敵」として「プロペラの先に銃剣でも
付けた様な」必死で、壮絶な闘いを繰り広げた当時のコルセア
搭乗員達の姿は;同じ国が大戦以降、幾多の民族紛争に
デシャバり続け覇権を振り回しながら今日に至っている姿
とはミケの中でどうしても重なって来ないのです。
どうも、「新型爆弾」まで用いた大戦終結への道程から
以降の冷戦状況等、宿命的に辿らざる得なかった「道」が
あの国にはあったのでしょうか?・・

65年前に「済んだ」この飛行機・バナシから
却って、ボンヤリと「これからの付き合い方」
へのヒントすら見えて来るかも知れません・・
これ以上の長文・駄文を連ねる事を避け、
今・ブログ記事:一旦、「イントロ」として終え、
以降、前述の通り、「前/後半」に分け、
「あのキルレシオ」を再考していくつもりです。
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
本日も当ブログにお越し下さりありがとうございます!
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美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
如何な「高齢化社会」となった昨今でも、太平洋戦争に
関わる自身又は同世代の(前線の将兵としても;銃後の
一般市民としても)「実体験」を伝え得る、現在80歳代・
後半から90代以上の方々は、少しずつ我々から離れて
行く現状:これはアメリカであれ/日本であれ、同様です。
後世代の者に出来る事 - 聴けるだけ広範囲に聴き、
後は、精一杯自分のイマジネーションを使う。
極めて卑近な喩えですが:”このシチューの味どう?”、と
作った人が訊けば - ”ウーっ、濃すぎ!うめて・ウメテ!”
一方では: ”何だコレ? 味ないじゃないかヨ!”・・
少年期からミケが個人的に「気になってた」戦闘機

それぞれなりの「記録」と「記憶や印象」がありました・・
父親が、自分の戦闘トラウマ(ある意味;今風に言えばPTSD、これ、
絶対アッタよ)からミケに、”日本機の模型は作るナ”という「禁止令」?
(中学時代、観れなかったのがあったナ:「徳川OOクス禁止令」・・)が
あってF4Uコルセアのキット作ってるのを見て、説明書かなんかチラっと
読んで、”何! P-38より高速の「艦載機」?! ソンなのいたのか、
じゃあ、P-51と同格じゃないか・・、 それも艦載機で?、ホホウ・・”
野砲隊を率い、北支の前線で闘っていたミケ・父:遭遇した米軍機は
全て陸軍機 - 「P-38を上回るならP-51級ダロ」、という発想。
(確かにソウかも・・、依然として、エア・レース・プロペラ機部門で
性懲りも無く、マスタングとコルセア:張り合って飛んでるミタイです)
ただ、「愛国心」をチャンと持ってたミケ・少年;悩む - 日本機が奮戦
した話もイッパイある;他方、プラモデル作ってるうちに何か親近感も・・
”キミ、ソンナに強かったの?;それとも「状況」で様々だったの?・・”
実際にコルセアに遭遇した日本軍側には;少なくとも3種類の体験が
そこには在ったのでは?、とミケは今も考えるんです:
1.爆弾やロケット弾といった外付けの重武装で低空を、緩慢・鈍重
に飛来・侵入して来る(戦闘機というより)艦爆とか攻撃機。
2.空戦となって、小回りを利かせた「格闘戦」に持ち込もうとすると、
アッサリ・飛び去って;チーム戦で、一航過ごとの銃撃を繰り返す、
手応えの無い敵 - グラマン(ヘルキャット)ならもっと追い回した。
3.中高度以上で空戦となった;降下の加速も加わってか、超高速で
瞬く間に射程に捉えて銃撃して来た - 退避の術は無かった。
仮に「3」だったら日本側からは裏付証言の出て来よう筈が無い。

空戦・戦果/損失比:出だしはコンナ数字では無かったろうに・・
1943年(昭和18年)の2月中旬に最初のコルセア部隊が出撃
してから1945年(昭和20年)8月中旬迄の2年6ヶ月を
1年3ヶ月程に前/後半に分けて、以降考えてみようと思った訳です。
「タネ・本」としては、例えば日本の文林堂・刊:「世界の傑作機」でも
ミケが中学時代から知る限りで三回 版が変わってて、3つとも持って
いますが;イギリス(アメリカ本国より戦記本多い)やアメリカで出たのを
メール・オーダーで集めたもの - この画像より、もう少し多いです。
、あくまで空戦上の一側面 - "Hit & Run"の一撃離脱戦法に
徹し勝機を得るか、互いに相手の背後に回り込む格闘戦に深入りして
被撃墜損失を喫するか:ここが、コルセアの対・日本機空戦の分かれ道。
一方、その「格闘戦」ですら、行われる速度レベルがどんどん速くなって
いくにつれ、「運動性能」や「格闘性能」というものでも「以外な」
アドヴァンテージを発揮していった様子も垣間見られます。
日本国/日本人も随分と変わりましたが、「この・お題」に出て来る
アメリカ/アメリカ人も、今の如く覇権を振り回す「超大国」とは大違い:
開戦以前にみくびっていた日本の航空技術力に一旦痛打を浴びたものの、
その後ある意味で謙虚に且つ、死に物狂いで立ち向かった過程が
見えてもくるのです:自分達が、ナチス・ドイツや大日本帝国に対して
「敗戦国」になってしまったら一体どういう目に遭うのか - 彼らも、
それは・それは・・、必死だったのでしょう。
大戦中、日本軍に対し直接的「敵」として「プロペラの先に銃剣でも
付けた様な」必死で、壮絶な闘いを繰り広げた当時のコルセア
搭乗員達の姿は;同じ国が大戦以降、幾多の民族紛争に
デシャバり続け覇権を振り回しながら今日に至っている姿
とはミケの中でどうしても重なって来ないのです。
どうも、「新型爆弾」まで用いた大戦終結への道程から
以降の冷戦状況等、宿命的に辿らざる得なかった「道」が
あの国にはあったのでしょうか?・・

却って、ボンヤリと「これからの付き合い方」
へのヒントすら見えて来るかも知れません・・
これ以上の長文・駄文を連ねる事を避け、
今・ブログ記事:一旦、「イントロ」として終え、
以降、前述の通り、「前/後半」に分け、
「あのキルレシオ」を再考していくつもりです。
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
本日も当ブログにお越し下さりありがとうございます!
バレンタインデーにですか?:「コルセア」の続き [F4U コルセア]
ま、また発作がッ!なんてクドイんだ・・
「バレンタインデー」とは昔から無縁のミケ;
たまたま『日付』が同じだからってコトで
また、F4Uコルセアを「連れて来た」

**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
みんなイイにゃぁ、ウヒヒ/オホホでしょう?
あ”、明日でしたか? エ”? 今日も明日も?
羨ましかぁ・・(「腹のすいたネコ・親爺」)
過去記事:キルレシオ考・F4Uコルセアなど
という通常のミケから逸脱したものを書いて
程なくしてディスカバリー・チャンネルに
『その筋の』番組がかかってました
変なハナシ;少年期からあまり永い事同じ
機体の模型作ってると、「敵機」なのに愛着も・・
番組紹介見て”イカン;こりゃよそう”、と少し思った:というのも、
どういう逸話か分かってるから。 「蛮勇」を通り越して「無謀」って
いう感じで零戦隊に仕掛けていって、戦果をあげるも最終的に
撃墜を被り、助けあげてくれた潜水艦;見ると・・”Oh,No!
ミートボール(「日の丸」)デハナイカ!!”、それで日本軍の捕虜・・
何で見方機の位置確認をしておかなかったのか、あれじゃ、賞金稼ぎ
の無茶・剣豪;飛行隊長・失格だと思うけどネ・・ ただ、「WW1の
アメリカ・エース:リッケンバッカーの「26」を何時更新するか?」で、
当人は辟易もし、クタビレもしてたみたい - あの出撃前から。
コルセアが最初に南太平洋で作戦任務に就いたのは11ヶ月程前:
その頃の型式や機体塗装・国籍識別マークとか;コンナ感じでしょうか:

1943年2月12から13日までは空戦にはならなかったのが、
陸軍航空隊のP-38;P-40との混成で爆撃機の護衛で出撃し、
数の揃った零戦にブーゲンビル付近上空で鉢合せ、あわせて10機の
被撃墜損失を出し、後々自身たちがその様を有名なシカゴ・ギャング
の抗争事件:"Saint Valentine's Day Massacre"(「聖バレンタインデーの
虐殺」)に譬えた「コルセア・初参加」の空戦が起きたのが2月14日。
「新型機の部隊」は実戦経験が無く;「実戦慣れ部隊は主に旧型機」
「制空権」という見方ではこの時点;まだ、米軍側は劣勢;まだF4F
ワイルド・キャットが主流で、コルセアで揃う迄5ヶ月位要したそうです。
Richard Abrams著 1977年 Ian Alan Ltd刊 "F4U CORSAIR AT WAR" に
極めて詳しい戦闘のスタティスティクスが載ってて、それを元に「*印」
の様な事をしてみましたヨ:
海兵隊・航空部隊による撃墜:
敵戦闘機: 陸上基地展開部隊 1,100 空母配備部隊 159
敵爆撃機:陸上基地展開部隊 300 空母配備部隊 59
海兵隊・航空部隊の損失:
敵戦闘機による被撃墜:陸上基地展開部隊141 空母配備部隊 16
対空火器:陸上基地展開部隊 207 空母配備部隊 44
作戦時・事故損失: 陸上基地展開部隊 157 空母配備部隊 21
海軍・航空部隊による撃墜:
敵戦闘機:陸上基地展開部隊132 空母配備部隊 147
敵爆撃機:陸上基地展開部隊 4 空母配備部隊 237
海軍・航空部隊の損失:
敵戦闘機による被撃墜:陸上基地展開部隊 14 空母配備部隊 18
対空火器:陸上基地展開部隊 5 空母配備部隊 93
作戦時・ 事故損失:陸上基地展開部隊 4 空母配備部隊 48

*キルレシオは11・3対1とされていますが;対戦闘機・空戦に限定すると:
海兵隊・航空部隊:陸上基地展開部隊7・8対1 空母配備部隊 9・9対1
海軍・航空部隊:陸上基地展開部隊 9・4対1 空母配備部隊 8・2対1
・・いや、「爆撃機」に撃墜されたケースもあるかもしれませんが・・
日本側の印象として”あれだけの深手なら「撃墜(ないしは「不確実・撃墜」)”
としていたものが、戦闘空域を脱する処まで飛行を続け・後に、乗機を放棄、
というようなケースは多数あった事でしょう:
**対・敵戦闘機キルレシオに作戦時・事故損失も加えたら・・:
海兵隊・航空部隊: 陸上基地展開部隊 3・7対1 空母配備部隊4・3対1
海軍・航空部隊:陸上基地展開部隊 7・3対1 空母配備部隊 2・2対1
***無論、皆が皆、戦闘機によるとは謂えません;高射砲等、対空火器
が原因の被撃墜の方が多数な以上、事故損失も同様かも知れません***
米軍側の撃墜戦果については自国側でも”楽観的且つ過大では?”、という
意見があった様で、正にリアルタイムに於いても飛行司令など佐官クラスの熟練
搭乗員が”若い搭乗員の戦闘報告は頼りない;’撃墜、コンファームか?機種は
何だった?’と訊くとシドロ・モドロなんだよなぁ”という事があった様です。
過去記事で「戦争最終年では零戦に対し12対1」というのを紹介しました。
あまりにロップサイド過ぎ(F6Fヘルキャットに至っては『13対1』?!・・)
「戦争最終年」という処に一つ見当を付けるとしたら;やはり『特別攻撃』でしょう:
体当たり攻撃の成功率は極めて低く;迎撃機もテグスネひいて待っていた・・

爆弾装着の任務では零戦の運動性は発揮すべくもなく、又、護衛任務側の
零戦も爆装した同僚に『本懐』を遂げさせるべく、米軍戦闘機の迎撃の邪魔を
(つまり;インターセプトのまたインターセプトですね)するのが究極の主務で、
アグレッシヴに空戦に拘わる訳には行かなかった - 何でこういう遣い方を・・
確かにF6Fヘルキャットはキルレシオ:19対1と、11対1のコルセアを記録上
凌駕していますが、最末期には空母搭載機種の割合は大きく変わったそうです:
SB2C・ヘルダイバー艦爆を降し、コルセアの海兵隊を搭載し、その海兵隊
を任務明けで降し、又、任務明けのヘルキャットも降し、最後にコルセアで慣熟
させておいた海軍搭乗員を主に「戦闘爆撃の部隊」として搭載していきました。
「制空戦闘」がもう殆ど成立しなくなっていったんでしょう・・
何も皆様のバレンタインデーにヤキモチっていう
訳ではないんですが;ホント変な話題になり
相済みません。
長・ブログにお付き合い下さり、ありがとうございます
賢明な御来訪者の皆様は、
決して面白がって書いたモノでは
無い事を分かって下さいますでしょう
時代/世の中違ってたら;彼らも
夫や父になれた筈なんです・・
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
本日も当ブログにお越し下さりありがとうございます!
お仲間ジャズ関連ブログが盛り沢山デスっ!:
宜しかったらクリック/御立ちより下さいませ!

「バレンタインデー」とは昔から無縁のミケ;
たまたま『日付』が同じだからってコトで
また、F4Uコルセアを「連れて来た」

美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
みんなイイにゃぁ、ウヒヒ/オホホでしょう?
あ”、明日でしたか? エ”? 今日も明日も?
羨ましかぁ・・(「腹のすいたネコ・親爺」)
過去記事:キルレシオ考・F4Uコルセアなど
という通常のミケから逸脱したものを書いて
程なくしてディスカバリー・チャンネルに
『その筋の』番組がかかってました
変なハナシ;少年期からあまり永い事同じ
機体の模型作ってると、「敵機」なのに愛着も・・
番組紹介見て”イカン;こりゃよそう”、と少し思った:というのも、
どういう逸話か分かってるから。 「蛮勇」を通り越して「無謀」って
いう感じで零戦隊に仕掛けていって、戦果をあげるも最終的に
撃墜を被り、助けあげてくれた潜水艦;見ると・・”Oh,No!
ミートボール(「日の丸」)デハナイカ!!”、それで日本軍の捕虜・・
何で見方機の位置確認をしておかなかったのか、あれじゃ、賞金稼ぎ
の無茶・剣豪;飛行隊長・失格だと思うけどネ・・ ただ、「WW1の
アメリカ・エース:リッケンバッカーの「26」を何時更新するか?」で、
当人は辟易もし、クタビレもしてたみたい - あの出撃前から。
コルセアが最初に南太平洋で作戦任務に就いたのは11ヶ月程前:
その頃の型式や機体塗装・国籍識別マークとか;コンナ感じでしょうか:

陸軍航空隊のP-38;P-40との混成で爆撃機の護衛で出撃し、
数の揃った零戦にブーゲンビル付近上空で鉢合せ、あわせて10機の
被撃墜損失を出し、後々自身たちがその様を有名なシカゴ・ギャング
の抗争事件:"Saint Valentine's Day Massacre"(「聖バレンタインデーの
虐殺」)に譬えた「コルセア・初参加」の空戦が起きたのが2月14日。
「新型機の部隊」は実戦経験が無く;「実戦慣れ部隊は主に旧型機」
「制空権」という見方ではこの時点;まだ、米軍側は劣勢;まだF4F
ワイルド・キャットが主流で、コルセアで揃う迄5ヶ月位要したそうです。
Richard Abrams著 1977年 Ian Alan Ltd刊 "F4U CORSAIR AT WAR" に
極めて詳しい戦闘のスタティスティクスが載ってて、それを元に「*印」
の様な事をしてみましたヨ:
海兵隊・航空部隊による撃墜:
敵戦闘機: 陸上基地展開部隊 1,100 空母配備部隊 159
敵爆撃機:陸上基地展開部隊 300 空母配備部隊 59
海兵隊・航空部隊の損失:
敵戦闘機による被撃墜:陸上基地展開部隊141 空母配備部隊 16
対空火器:陸上基地展開部隊 207 空母配備部隊 44
作戦時・事故損失: 陸上基地展開部隊 157 空母配備部隊 21
海軍・航空部隊による撃墜:
敵戦闘機:陸上基地展開部隊132 空母配備部隊 147
敵爆撃機:陸上基地展開部隊 4 空母配備部隊 237
海軍・航空部隊の損失:
敵戦闘機による被撃墜:陸上基地展開部隊 14 空母配備部隊 18
対空火器:陸上基地展開部隊 5 空母配備部隊 93
作戦時・ 事故損失:陸上基地展開部隊 4 空母配備部隊 48

海兵隊・航空部隊:陸上基地展開部隊7・8対1 空母配備部隊 9・9対1
海軍・航空部隊:陸上基地展開部隊 9・4対1 空母配備部隊 8・2対1
・・いや、「爆撃機」に撃墜されたケースもあるかもしれませんが・・
日本側の印象として”あれだけの深手なら「撃墜(ないしは「不確実・撃墜」)”
としていたものが、戦闘空域を脱する処まで飛行を続け・後に、乗機を放棄、
というようなケースは多数あった事でしょう:
**対・敵戦闘機キルレシオに作戦時・事故損失も加えたら・・:
海兵隊・航空部隊: 陸上基地展開部隊 3・7対1 空母配備部隊4・3対1
海軍・航空部隊:陸上基地展開部隊 7・3対1 空母配備部隊 2・2対1
***無論、皆が皆、戦闘機によるとは謂えません;高射砲等、対空火器
が原因の被撃墜の方が多数な以上、事故損失も同様かも知れません***
米軍側の撃墜戦果については自国側でも”楽観的且つ過大では?”、という
意見があった様で、正にリアルタイムに於いても飛行司令など佐官クラスの熟練
搭乗員が”若い搭乗員の戦闘報告は頼りない;’撃墜、コンファームか?機種は
何だった?’と訊くとシドロ・モドロなんだよなぁ”という事があった様です。
過去記事で「戦争最終年では零戦に対し12対1」というのを紹介しました。
あまりにロップサイド過ぎ(F6Fヘルキャットに至っては『13対1』?!・・)
「戦争最終年」という処に一つ見当を付けるとしたら;やはり『特別攻撃』でしょう:
体当たり攻撃の成功率は極めて低く;迎撃機もテグスネひいて待っていた・・

零戦も爆装した同僚に『本懐』を遂げさせるべく、米軍戦闘機の迎撃の邪魔を
(つまり;インターセプトのまたインターセプトですね)するのが究極の主務で、
アグレッシヴに空戦に拘わる訳には行かなかった - 何でこういう遣い方を・・
確かにF6Fヘルキャットはキルレシオ:19対1と、11対1のコルセアを記録上
凌駕していますが、最末期には空母搭載機種の割合は大きく変わったそうです:
SB2C・ヘルダイバー艦爆を降し、コルセアの海兵隊を搭載し、その海兵隊
を任務明けで降し、又、任務明けのヘルキャットも降し、最後にコルセアで慣熟
させておいた海軍搭乗員を主に「戦闘爆撃の部隊」として搭載していきました。
「制空戦闘」がもう殆ど成立しなくなっていったんでしょう・・
何も皆様のバレンタインデーにヤキモチっていう
訳ではないんですが;ホント変な話題になり
相済みません。
長・ブログにお付き合い下さり、ありがとうございます
賢明な御来訪者の皆様は、
決して面白がって書いたモノでは
無い事を分かって下さいますでしょう
時代/世の中違ってたら;彼らも
夫や父になれた筈なんです・・
**このブログ記事に過去の歴史上の戦争を
美化・賛美する趣旨は一切ございません、又、
現在そして将来に於けるいかなる戦争・軍事行動
を肯定・支持する意図も一切ございません**
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